松田聖子『赤いスイートピー』歌詞の意味を徹底考察|恋の始まりと、進まない関係のもどかしさ

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松田聖子の『赤いスイートピー』。1982年にリリースされたこの曲は、松田聖子の代表曲の一つとして、今も多くの人に愛され続けています。

でも、実は「赤いスイートピー」という花は、当時存在しませんでした。スイートピーには白、ピンク、紫などの色はあっても、赤はなかったのです。(後に品種改良で作られましたが)

つまり、このタイトルは架空の花なのです。でもその架空の花が、この曲の世界観を象徴しているように私は感じます。

理想の恋。まだ叶わない想い。現実には存在しないけれど、心の中には確かに咲いている花——それが「赤いスイートピー」なのではないでしょうか。

「春色の汽車に乗って 海に連れて行ってよ」

冒頭から、少女のような純粋な願いが歌われます。「春色の汽車」という詩的な表現。そして「海に連れて行ってよ」という、素直な要求。

「煙草の匂いのシャツにそっと寄りそうから」という、初々しい距離感

そして続く歌詞に、恋の初期段階が描かれます。

「煙草の匂いのシャツにそっと寄りそうから」

「煙草の匂い」——これは1980年代らしい描写です。今ほど嫌煙が進んでいなかった時代、煙草の匂いは大人の男性を象徴するものでした。

そして「そっと寄りそう」——まだ抱き合うわけでもなく、ただ「そっと」寄り添う。その初々しさ、遠慮がちな距離感が、とても印象的です。

私は、この歌詞に恋の始まりの特別な感覚を感じます。まだ触れ合うことさえ遠慮がちな、でもだからこそドキドキする、あの感じ。

「半年過ぎてもあなたって手も握らない」という、もどかしさ

そして、この曲の核心的なもどかしさが語られます。

「何故 知りあった日から半年過ぎても あなたって手も握らないの」

「半年」——かなりの時間です。でも「手も握らない」。つまり、関係が全く進展していないのです。

この「何故」という問いかけが、切ないと私は感じます。なぜ?どうして?自分に魅力がないから?それとも、相手が奥手なだけ?その不安と疑問が、この一言に込められています。

現代なら、半年も手を握らない関係は珍しいかもしれません。でも1980年代初頭、しかも純粋な恋愛を歌うアイドルソングとしては、これがリアリティを持っていたのでしょう。

そして重要なのは、主人公がそれに不満を持ちながらも、相手を責めていないことです。「何故」と問いながら、でも待ち続けている。その忍耐と、純粋さが、この曲の魅力なのです。

「I will follow you」という、無条件の献身

そしてサビで、力強い決意が歌われます。

「I will follow you あなたについてゆきたい I will follow you ちょっぴり気が弱いけど素敵な人だから」

「I will follow you」——あなたについていく。この宣言が、英語で歌われることで、普遍性と同時に、少し距離を置いた客観性が生まれています。

そして「ちょっぴり気が弱いけど素敵な人だから」——相手の欠点を認めた上で、それでも好きだと言う。

「気が弱い」から手も握れない。でもそれが「素敵」だと。この肯定の仕方が、とても優しいと私は感じます。

相手を変えようとするのではなく、そのままを受け入れる。その無条件の愛が、「I will follow you」という言葉に込められているのです。

「心の岸辺に咲いた 赤いスイートピー」

そして、タイトルの「赤いスイートピー」が登場します。

「心の岸辺」——心の中の、水際。陸と水の境界。つまり、意識と無意識の境界、現実と理想の境界。そこに咲いているのが「赤いスイートピー」。

現実には存在しない花が、心の中には確かに咲いている。それが、この恋なのです。

「四月の雨に降られて駅のベンチで二人」という、映画的な情景

二番では、具体的なシーンが描かれます。

「四月の雨に降られて駅のベンチで二人 他に人影もなくて不意に気まずくなる」

「四月の雨」——春の雨。新しい季節の始まり。そして「駅のベンチ」という、どこか寂しげな場所。

「他に人影もなくて」——二人きり。絶好のチャンス、とも言えるシチュエーション。でも「不意に気まずくなる」。

私は、この「気まずさ」に、とてもリアリティを感じます。

好きな人と二人きり。周りに誰もいない。でも、だからこそ緊張してしまう。何を話せばいいか分からない。沈黙が重く感じる。その気まずさ。

恋愛経験が浅いからこその、初々しい感覚が、ここには描かれているのです。

「何故 あなたが時計をチラッと見るたび 泣きそうな気分になるの?」

そして、相手の何気ない仕草に傷つく主人公。

時計を見る——それは、時間を気にしているということ。つまり、「早く帰りたい」と思っているのでは?自分と一緒にいるのが退屈なのでは?

そんな不安が、「泣きそうな気分」にさせるのです。

私は、この敏感さに、恋する人の心の脆さを感じます。相手の些細な行動一つで、天国にも地獄にもなる。それが、恋なのです。

「翼の生えたブーツで」という、詩的な比喩

二回目のサビでは、表現が変わります。

「I will follow you 翼の生えたブーツで I will follow you あなたと同じ青春走ってゆきたいの」

「翼の生えたブーツ」——この比喩が、とても印象的です。

ブーツは地上を歩くもの。でもそこに翼が生えている。つまり、地に足をつけながらも、飛ぶように軽やかに。その両方を兼ね備えた状態。

私は、この表現に恋の高揚感を感じます。恋をすると、人は軽やかになる。普通に歩いているだけなのに、まるで飛んでいるように感じる。その感覚が、「翼の生えたブーツ」という言葉に込められているのです。

「あなたと同じ青春走ってゆきたいの」

そして「同じ青春」を走りたい、と。

これは、ただ一緒にいたいということではなく、同じ時間を、同じ速度で、同じ方向に進みたい、ということでしょう。完全な一体化への願い。

「線路の脇のつぼみは 赤いスイートピー」

そして再び「赤いスイートピー」。でも今度は「つぼみ」です。

一番では「咲いた」でしたが、ここでは「つぼみ」。つまり、まだ開花していない。この恋も、まだ始まったばかり。これから開いていく。

その希望が、この「つぼみ」という言葉に込められているのではないでしょうか。

「好きよ 今日まで逢った誰より」という、最高の告白

そして、最も直接的な告白が語られます。

「好きよ 今日まで逢った誰より I will follow you あなたの生き方が好き」

「今日まで逢った誰より」——これまで出会ったすべての人の中で、あなたが一番好き。これ以上ない告白です。

そして「あなたの生き方が好き」——外見でも、お金でも、地位でもなく、「生き方」が好き。

「ちょっぴり気が弱い」相手。手も握らない相手。時計を見てしまう相手。でも、その「生き方」が好き。

私は、この告白に本物の愛を感じます。相手の欠点も含めて、その人の在り方そのものを愛している。それが、ここには表れているのです。

「このまま帰れない 帰れない」

そして、繰り返される「帰れない」。

物理的に帰れないのではなく、心理的に帰れない。この瞬間を終わらせたくない。この時間をずっと続けたい。

その切実な願いが、「帰れない」の繰り返しに込められているのです。

「心に春が来た日は 赤いスイートピー」

そして最後、もう一度「赤いスイートピー」。

「心に春が来た日」——それは、恋が始まった日。あなたに出会った日。その日から、心に春が訪れた。

そして、存在しない「赤いスイートピー」が咲いた。

現実には存在しないけれど、心の中には確かに咲いている、情熱的な赤い花。それが、この恋の象徴なのです。

タイトル『赤いスイートピー』が示す、理想と現実

最後に、もう一度タイトルについて考えてみたいと思います。

『赤いスイートピー』——存在しない花。

でも、この曲が描く恋も、ある意味で「存在しない」ものです。半年経っても手も握らない。進展しない。現実的には、成立していない恋。

でも、心の中には確かに存在している。情熱的な赤い花のように、燃えている。

その理想と現実のギャップこそが、この曲のテーマなのではないでしょうか。

そして面白いことに、この曲のヒット後、本当に赤いスイートピーが品種改良で作られました。存在しなかった花が、現実になったのです。

それは、この恋への希望でもあるのかもしれません。今は存在しない、進展しない恋も、いつか現実になるかもしれない。「つぼみ」が、いつか開花するかもしれない。

その希望を込めた、「赤いスイートピー」というタイトルなのだと、私は感じます。

まとめ:進まない恋の、初々しい美しさ

今回は、松田聖子の『赤いスイートピー』の歌詞に込められた想いを考察してきました。最後に、この記事のポイントをまとめてみましょう。

存在しない花の象徴性 現実には存在しない「赤いスイートピー」が、理想の恋を象徴している。

半年経っても手も握らない 進展しない関係のもどかしさと、でもそれを受け入れる純粋さ。

「ちょっぴり気が弱いけど素敵」 相手の欠点を認めた上での愛。無条件の受容。

些細な仕草に揺れる心 時計を見るだけで「泣きそうな気分」になる、恋する人の敏感さ。

「生き方」を愛する 外見や条件ではなく、その人の在り方そのものを愛すること。

心に咲く春 恋が始まった日から、心に春が訪れ、存在しない花が咲く。

『赤いスイートピー』は、恋の始まりの初々しさを歌った曲です。進展しない関係のもどかしさ。些細なことで揺れ動く心。でもそれでも、相手を信じて待ち続ける純粋さ。

現代から見ると、半年経っても手も握らない関係は、もどかしすぎるかもしれません。でもその遅さこそが、この恋の美しさなのです。

急がない。焦らない。ゆっくりと、少しずつ、心の距離を縮めていく。そんな恋愛の在り方が、ここには描かれています。

「心の岸辺に咲いた 赤いスイートピー」——あなたの心にも、そんな花が咲いたことがありますか?現実には存在しないけれど、確かに感じられる、情熱的な恋の記憶。

それが、40年以上経った今でも、この曲が愛され続ける理由なのだと、私は思います。

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