
あいみょんの『おじゃまします』は、彼女の楽曲の中でも特に挑戦的で、聴く人によって大きく解釈が分かれる作品です。
この曲を初めて聴いたとき、その大胆な歌詞と、一線を越えてしまう人間の心理を描く勇気に、衝撃を受けた方も多いのではないでしょうか。
私がこの曲について考えるのは、人間の内面にある「してはいけないと分かっていること」への衝動を、ここまで正直に表現することの意味についてです。
重要な前提として、この曲は倫理的に問題のある行動を推奨するものではありません。むしろ、人間の心の闇や危うさを芸術作品として描いたものとして捉えるべきだと思います。
特に印象的なのが、
「駄目だって分かってる でもいいや、って思えてしまうのは」
というフレーズ。
理性では分かっている。でも感情がそれを無視する──この人間の弱さが、冒頭から提示されます。
この記事では、『おじゃまします』の歌詞に込められた意味を、倫理的な観点も含めて慎重に考察していきます。
「駄目だって分かってる でもいいや、って思えてしまうのは」──理性の敗北と、孤独が生み出す危険な思考回路

この曲は、理性と感情の対立から始まります。
私としては、この歌詞が「道徳的に間違っていると理解しながらも、それを実行してしまう人間の弱さ」を描いているのではないかと思います。
冒頭の「駄目だって分かってる」という言葉が重要ですね。
主人公は、自分がしようとしていることが「駄目」だと認識しています。倫理的に、社会的に、あるいは法律的に問題があることを理解している。
でも「でもいいや、って思えてしまう」──この諦めと開き直りが、危険な思考の始まりです。
そして「どうしようもなく私寂しいからだな」という理由。
孤独が、人を道を踏み外させる。寂しさが、判断力を鈍らせる。
この曲は、そういった人間の脆弱性を描いているように思います。
この曲が描いているのは、おそらく許されない恋愛、あるいはそれ以上に問題のある行動かもしれません。しかし、それを美化するのではなく、むしろその危うさ、間違いを正直に表現しているという点が重要だと感じます。
「反発ばかりしてる頭と心」──自己の中で争う、理性と感情の激しい葛藤

この曲には、自己の分裂が描かれています。
私としては、この歌詞が「理性では止めようとするのに、感情がそれに従わない」という内的な葛藤を表現しているのではないかと感じます。
「反発ばかりしてる頭と心はもうこの際バラバラにできるなら今すぐそうする」という言葉が、激しいですね。
頭(理性)と心(感情)が反発し合っている。一致しない。
だから「バラバラにできるなら」──もう統合するのを諦めて、分けてしまいたい。
この極端な思考が、主人公の混乱を示しているように思います。
「覚悟はあると言うと嘘になる 本当はずっとずっと怖いんだ」という告白も、人間的です。
実は覚悟なんてない。怖い。でも止められない。
この矛盾が、人間の複雑さを表しているのではないでしょうか。
【核心】「本能が騒ぐのは抑えられない」──理性のコントロールを失った、衝動の危険な暴走

この曲の核心は、制御不能な衝動にあると私は思います。
私としては、この言葉が「人間の理性には限界があり、本能がそれを圧倒することがある」という、危険だが真実な人間の側面を描いているのではないかと感じます。
「もう 本能が騒ぐのは抑えられない」という宣言は、理性の敗北を意味しています。
「抑えられない」──つまり、コントロールを失っている。自分の意思では止められない。
これは、依存症や衝動制御障害など、精神医学的な問題とも関連する状態かもしれません。
重要なのは、この曲がそのような状態を賛美しているのではなく、むしろその危うさ、恐ろしさを表現しているという点だと思います。
「救えないところまでたどり着いた」という後の歌詞も、引き返せない地点に来てしまったことへの絶望を示しています。
「少し安心する」という感情の危うさ──倫理の境界を越えた場所で見つける、歪んだ安堵感

この曲には、倫理的に問題のある状況の中で「安心」を感じるという、矛盾した感情が描かれています。
私としては、この部分が最も問題的で、同時に人間の心理の複雑さを示しているのではないかと思います。
歌詞の中で繰り返される「少し安心する」という言葉。
何に安心しているのか──それは、倫理的に正しくない状況の中で、何かを確認することによる安堵です。
この「安心」は、健全な安心ではありません。むしろ、間違った場所で間違った方法で得られる、歪んだ安堵感です。
この曲は、そのような歪んだ感情を持ってしまう人間の弱さを、批判的に描いているのだと解釈すべきだと思います。
「救えないところまでたどり着いた」──道徳的な境界線を越え、もう引き返せない地点への到達

この曲のクライマックスは、引き返せない地点への到達です。
私としては、この言葉が「一線を越えてしまったことへの後悔と、それでも止まれない絶望」を表現しているのではないかと感じます。
「救えないところまでたどり着いた」──これは、道徳的、精神的な破綻を意味しているのでしょう。
「救えない」は、もう助からない、正常に戻れない、という意味かもしれません。
「もう止められない」という続きも、制御の喪失を示しています。
まとめ
今回はあいみょんの『おじゃまします』について、慎重に考察してきました。
この曲について、いくつか重要な点を強調しておきたいと思います:
芸術作品としての表現
この曲は、倫理的に問題のある行動を推奨するものではなく、人間の心の闇を芸術作品として表現したものだと解釈すべきだと思います。
理性と本能の葛藤
「駄目だって分かってる」けど「止められない」という矛盾が、人間の複雑さを示しているように感じます。
孤独の危険性
「寂しいから」という理由が、いかに人を危険な道に導くかを示唆しているのではないでしょうか。
引き返せない地点
「救えないところまでたどり着いた」という言葉に、一線を越えることの恐ろしさが描かれていると思います。
最後に:この曲は非常にセンシティブな内容を扱っています。もし現実の生活で似たような衝動や感情に悩んでいる方がいれば、適切な専門家(カウンセラー、精神科医など)に相談することを強くお勧めします。
また、この曲が描いている行動は、他者を傷つけ、法律に触れる可能性もあります。芸術作品として鑑賞することと、実際に行動することは、明確に区別されるべきです。
あいみょんがこの曲で表現しようとしたのは、おそらく人間の内面にある闇や弱さを正直に描くことだったのではないでしょうか。
それは決して美しいものではなく、むしろ恐ろしいものとして。


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