レミオロメン「3月9日」歌詞考察 – 卒業ソングと呼ばれた結婚祝歌の真実

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「3月9日」を卒業式で歌った方、聴いた方は数え切れないほどいるでしょう。

でも実は、この曲は卒業ソングとして作られたわけではないということをご存知でしょうか。

作詞作曲したレミオロメンのボーカル藤巻亮太が幼なじみの結婚を祝うために書いた、とても私的な祝福の歌なんです。それが、なぜこんなにも多くの人の「別れと旅立ちの歌」になったのか。

私はそこに、この曲の持つ普遍的な魅力の秘密があると思います。

この記事では、「3月9日」の歌詞を独自の目線で徹底考察します。

「卒業ソング」という誤解が生んだ、もうひとつの物語

多くの人が「3月9日」を卒業式の歌だと思っているのは、偶然ではありません。

3月という時期、そして歌詞に込められた「新たな世界の入口に立ち」というフレーズ。これらが絶妙に、卒業という人生の節目と重なったんですね。

結婚祝いの歌が、なぜ別れの歌に聞こえたのか

私が興味深いと思うのは、作者の意図とは全く異なる文脈で、この曲が受け入れられたという事実です。藤巻亮太は友人の結婚を祝って、「これからも隣にいるよ」という永続性を歌った。でもリスナーは、「これまでありがとう、これから別々の道を歩もう」という分離を読み取った。

作者の意図 vs リスナーの受け取り方:

要素作者(結婚祝い)リスナー(卒業ソング)
時期設定友人の結婚記念日卒業シーズン
関係性パートナーとの新生活友人・仲間との別れ
「新たな世界」結婚生活の始まり進学・就職への旅立ち
「隣で微笑む」夫婦として寄り添う離れても心は共に

この乖離は、決して間違いではないと私は思います。むしろ、優れた歌の証明なのかもしれません。

「1人じゃないってこと」が持つ、二重の意味

この曲の核心は、「気づいたことは 1人じゃないってこと」というフレーズにあると思います。結婚という文脈で聴けば、これは人生のパートナーを得た喜びです。

でも卒業という文脈で聴けば、これまで共に過ごした仲間への感謝になる。

支え合いの形は、状況によって変わる

人は誰かと共にいることで強くなれる。でもその「共にいる」という状態は、必ずしも物理的な距離とは関係ないんですよね。

結婚するカップルにとって、これは文字通り「これから毎日隣にいる」という約束です。でも卒業する学生たちにとっては、「離れていても、あなたがいてくれたという事実が私を強くする」という、もっと抽象的な繋がりになる。

私は、この二重性こそが「3月9日」という曲の豊かさだと感じています。

「1人じゃない」の多層的な意味:

  • ✓ パートナーがいるという物理的な安心感
  • ✓ 大切な人の記憶が支えになるという精神的な強さ
  • ✓ 共に過ごした時間が自分を形作っているという実感
  • ✓ 未来に向かって歩む時、過去の繋がりが力になること

季節の描写が紡ぎ出す、変化と継続の絶妙なバランス

この曲の歌詞で私が最も美しいと思うのは、季節の描写です。「流れる季節の真ん中で」という冒頭から、「桜のつぼみは春へとつづきます」「溢れ出す光の粒」といった、冬から春への移ろいが繊細に描かれている。

結婚式は「終わり」ではなく「始まり」である

3月9日という日付。多くの人にとっては年度末、終わりの季節です。でも自然界では、冬が終わり春が始まる時期でもある。この二面性が、結婚という人生の節目にぴったりなんですね。

  • 冬の終わり = 独身時代の終わり、学生時代の終わり
  • 春の始まり = 新しい家族の始まり、社会人としての始まり

藤巻亮太は意識的にこの時期を選んだのでしょう。友人の結婚記念日がたまたま3月9日だったのか、それともこの日を選んで結婚したのか。いずれにせよ、この日付が持つ象徴性は完璧です。

「桜のつぼみは春へとつづきます」という表現が、私は特に好きです。つぼみはまだ開いていない。でも確実に春に向かっている。この「まだ途中」という感じが、結婚式当日の、これから始まる人生への期待感とぴったり重なります。

日常の小さな幸せを拾い上げる、藤巻亮太の観察眼

「大きなあくびをした後に 少し照れてるあなたの横で」というフレーズ。こういう何気ない瞬間を捉える感覚が、藤巻亮太の歌詞の真骨頂だと私は思います。

「砂ぼこり」と「白い月」が共存する世界

歌詞の中盤、「砂ぼこり運ぶ つむじ風 洗濯物に絡まりますが 昼前の空の白い月は なんだかきれいで 見とれました」という部分。これ、本当に素晴らしいと思うんです。

生活の中の面倒なこと(砂ぼこり、洗濯物)と、美しいもの(白い月)が同時に存在している。完璧な結婚生活なんてない。でも不完全な日常の中にも、ふと心を動かされる瞬間がある。

日常描写から見る、等身大の幸福:

描写象徴するもの込められた意味
大きなあくび日常の素の姿飾らない関係性
砂ぼこりとつむじ風生活の煩わしさ理想ばかりではない現実
昼前の白い月日常の中の詩的瞬間小さな美を見つける感性
洗濯物に絡まる生活感あふれる場面共同生活の実感

これは結婚生活の本質を捉えています。でも同時に、友人関係や、これから社会に出ていく若者たちにも響く普遍性がある。人生は「上手くはいかぬこともあるけれど」、だからこそ共に歩める人がいることの価値が際立つんです。

「瞳を閉じれば あなたが まぶたのうらに いる」という表現の切実さ

この曲で最も印象的なフレーズのひとつ。目を閉じると、大切な人の顔が浮かぶ。これほど親密さを表現する言葉があるでしょうか。

物理的距離と心理的近さの逆説

私がこのフレーズで面白いと思うのは、「目を閉じる」という行為です。目を開けていれば、実際に隣にいる相手を見ることができる。でも敢えて目を閉じて、まぶたの裏に相手を思い浮かべる。

これは結婚する二人にとっては、「これほど深く相手を心に刻んでいる」という愛の表現です。でも卒業する学生たちにとっては、「離れていても、いつでもあなたを思い出せる」という、別れを前提とした繋がりの確認になる。

「まぶたのうらにいる」ことの意味:

  1. 目を閉じても(離れていても)
  2. いつでも(時間を超えて)
  3. そこにいる(存在を感じられる)
  4. それが力になる(支えになる)

「どれほど強くなれたでしょう あなたにとって私も そうでありたい」という続きが、また切実です。一方的に支えられるだけじゃなく、相手にとっても同じような存在でありたい。この相互性が、人間関係の理想を表していると思います。

「花咲くを待つ喜び」に込められた、時間をかける覚悟

終盤のこのフレーズが、私は特に好きです。「花が咲く喜び」ではなく、「花咲くを待つ喜び」。この微妙な違いが、深い洞察を含んでいます。

結婚生活は「待つ」ことの連続である

即座に結果が出るものではない。種を蒔いて、水をやって、日々を重ねて、いつか花が咲く。それを二人で待つことができれば、それは幸せだと歌っている。

これは結婚生活における、子育てかもしれないし、夫婦として築いていく信頼関係かもしれない。あるいは二人で描く夢の実現かもしれません。

「待つ喜び」が示唆するもの:

  • すぐには成果が見えない努力の価値
  • プロセスを共有することの意味
  • 焦らず、信じて、共に時を過ごすこと
  • 待つこと自体が、既に幸せであるという気づき

でもこれも、卒業という文脈では全く違って聞こえます。離れ離れになった友人たちが、それぞれの場所で努力を重ね、いつか再会した時に「あの時から成長したね」と認め合える。その未来を信じて待つ喜び。

「この先も 隣で そっと微笑んで」という願いの重み

曲の締めくくり。この「この先も」という言葉に、私は藤巻亮太の友人への深い祝福を感じます。

結婚は「永遠」を誓う行為である

恋愛と結婚の最も大きな違いは、時間軸だと思います。恋愛は「今」が燃え上がればいい。でも結婚は「この先も」を約束する行為です。

「隣で そっと微笑んで」。激しい愛の言葉ではない、とても静かな表現です。でもこの静けさの中に、長い年月を共に過ごすための知恵が込められている気がします。

長く続く関係に必要なもの:

  • ✓ 激情よりも穏やかな優しさ
  • ✓ 劇的な出来事よりも日常の積み重ね
  • ✓ 声高な主張よりも、そっとそばにいること
  • ✓ 派手な愛の証明よりも、微笑みの交換

これもまた、卒業する学生たちには違う意味で響くでしょう。「ずっと隣にいる」という物理的な約束ではなく、「心の中でいつも応援している」という精神的な繋がりとして。

なぜこの曲は「万能の祝福歌」になれたのか

結論として、私はこう考えています。「3月9日」が卒業ソングとして広く受け入れられたのは、誤解ではなく、必然だったのだと。

具体的であることと、普遍的であることの奇跡的な両立

藤巻亮太は、特定の友人の、特定の日の、特定の出来事を歌いました。これ以上ないほど具体的です。でも使われている言葉は、極めて普遍的です。

「新たな世界の入口に立ち」という表現は、結婚でも、卒業でも、就職でも、引っ越しでも、人生の様々な転機に当てはまります。「1人じゃない」という気づきは、恋人でも、友人でも、家族でも、感じることができます。

この曲が適用できる人生の節目:

  • 結婚式・婚約
  • 卒業式・修了式
  • 就職・転職
  • 引っ越し・移住
  • 大切な人との別れ
  • 新しい挑戦の始まり

藤巻亮太は、おそらく意識的に、普遍的な言葉を選んだのだと思います。親友の結婚を祝う歌だけど、聴く人それぞれが自分の大切な人を思い浮かべられるように。

「3月9日」という日付が持つ、開かれた象徴性

最後に、タイトルについて。具体的な日付を曲名にするというのは、実は珍しいことです。そして興味深いことに、この日付が何の日なのか、歌詞の中では一切説明されません。

あなたにとっての「3月9日」は何ですか?

友人の結婚記念日として書かれたこの曲。でも聴く人それぞれが、自分にとっての特別な日を重ねることができる。あなたの卒業式かもしれないし、告白した日かもしれないし、大切な人と初めて出会った日かもしれない。

日付は具体的だけど、その意味は開かれている。この絶妙なバランスが、「3月9日」という曲を、多くの人の人生の一部にしたのだと、私は思います。

レミオロメン「3月9日」が教えてくれること:

  1. 人生の節目には、いつも誰かがいる
  2. 支え合うことの価値は、形を変えて続いていく
  3. 日常の小さな幸せが、人生の土台になる
  4. 待つことも、共にいることの一つの形
  5. 別れは終わりではなく、新しい関係性の始まり

藤巻亮太が友人のために書いた一曲の歌が、こんなにも多くの人の大切な瞬間を彩ることになった。それは作者の意図を超えた、音楽の持つ不思議な力だと思います。

あなたにとっての「3月9日」は、どんな日ですか? この曲を聴く時、誰の顔が浮かびますか? それが何であれ、その人との繋がりが、あなたを強くしてくれているはずです。


この考察は楽曲と公開されている情報に基づく個人的な解釈です。音楽は聴く人の数だけ解釈があります。あなただけの「3月9日」を見つけてください。

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