マカロニえんぴつの「パープルスカイ」。
このタイトルを見た瞬間、私は立ち止まりました。なぜ青空でも、夕焼けでもなく、「紫」なのか。紫という色は、古来より高貴さと同時に、どこか不吉な印象を併せ持つ、矛盾した色です。赤(情熱、血)と青(冷静、憂鬱)が混ざり合った中間色——まさにこの曲が描く、矛盾に満ちた心象風景を象徴する色なのだと思います。
歌詞を読み解くと、そこには「英雄のフリをしている」と自ら認める人物がいます。正義を掲げながら、その根が枯れていくことを知っている人物。それでも「あなたに見せたい、こんなに晴れてる空」と願う人物。この曲は、純粋な正義を信じられなくなった現代において、それでも何かのために戦おうとする者の、痛切な独白なのだと感じます。

東京都出身33歳。数百曲の歌詞を分析してきた実績を持つ、”裏テーマ発掘”専門ブロガー。表層的な意味に惑わされず、作者の無意識、社会の深層を映す鏡としての歌詞を学術的な視点で考察します。読み終わった後、その曲が別物に聴こえます。
悲しみを運んで可愛がってもらう構造

冒頭の「ほら そんなに遠くへ悲しみを運んで可愛がってもらって、これで良かったはずなのに」という一節。ここには、承認欲求の歪んだ形が描かれています。悲しみを「運んで」、それを「可愛がってもらう」——この表現には、自分の不幸を語ることで他者からの関心や同情を得ようとする、現代的な承認の取り方が示されています。
SNSが普及した社会では、幸福の誇示だけでなく、不幸の開示もまた、承認を得る手段になり得ます。「大変だったね」「頑張ってるね」という言葉をもらうために、わざわざ悲しみを可視化し、遠くまで運んでいく。しかし主人公は「これで良かったはずなのに」と過去形で語ります。つまり、そうやって得た承認では、本当は満たされていない。その空虚さを、冒頭で既に示唆しているのです。
英雄のフリと、見破られたいという矛盾

「きっとね 英雄のフリ ただ見破られたいんだ」——この一行が、曲の核心を突いています。英雄を演じている。でも、それは「フリ」であると、自分でも分かっている。そして驚くべきことに、その演技を「見破られたい」と願っているのです。
この心理は、極めて複雑です。なぜ見破られたいのか。それは、偽りの自分ではなく、本当の自分を見てほしいからでしょう。でも同時に、英雄のフリを続けている。この矛盾は、現代人が抱える承認欲求のジレンマを象徴していると私は思います。理想の自分を演じることでしか注目を集められないが、その演技に疲れている。誰かに「それは本当のお前じゃない」と言ってほしい。でも、言われたら全てが崩れてしまう——そんな危うい均衡の上に立っているのです。
体の中で燃ゆる空という内面の炎

「からだの中で燃ゆる空」という表現が、繰り返し登場します。空が「燃える」というイメージは、通常なら夕焼けを想起させますが、ここでは「体の中で」燃えている。つまり、外の世界ではなく、内面で燃えている何かがある。それは怒りかもしれないし、情熱かもしれない。あるいは、消えかかっている正義感の最後の炎かもしれません。
この「体の中の空」という逆説的な表現が、この曲の不思議な魅力を生んでいます。空は本来、外にあるもの、広大で手の届かないものです。それが体の中にある——つまり、外の世界の広がりを、内面に取り込んでいる。あるいは、外の世界がどんなに晴れていても、自分の内側には独自の空があり、それは時に紫色に染まり、時に燃えている。そんな内的世界の独立性が示されているのです。
闘って強くなれないという自覚

「闘って強くなれないのは知ってて、ごめんな」——この謝罪が切ないのは、闘うことで強くなれるという通常の成長物語を、主人公が信じていないからです。少年漫画的な「戦いを通じての成長」という物語を、もう信じられない。闘っても強くなれない。それを知っている。でも、それでも闘おうとしている。
この「ごめんな」は誰に向けられているのでしょうか。自分自身に対してか、それとも期待してくれている誰かに対してか。おそらく両方でしょう。強くなれると期待していた自分に、そして自分を英雄だと思ってくれているかもしれない誰かに対して。「強くなれない」と分かっているのに闘う——これは、勝利のためではなく、別の何かのための闘いなのです。
呪われても選ばせてという意志

「呪われても選ばせて オーライ 止められても 行くしかないな」——ここには、強い意志があります。呪われてもいい、止められても行く。この決意は何に向かっているのか。おそらく、それは社会的に「正しい」とされる道ではないのでしょう。呪われるということは、誰かから非難される、祝福されない道を選ぶということです。
「オーライ」というカタカナの軽さが、逆に覚悟の深さを際立たせています。呪われることを「オーライ」と受け入れる。この軽口の裏には、もう後戻りできないという諦めにも似た決意があります。そして「行くしかないな」という自問自答。本当は行きたくないのかもしれない。でも、行くしかない。その「しかない」という消極的な表現の中に、逆説的に、どうしても行かなければならない理由の重さが透けて見えるのです。
枯れ行く正義の根と、まだ腐ってない矜持

「枯れ行く正義の根 まだ腐ってはない」——この対比が、この曲の時間感覚を示しています。「枯れ行く」は進行形。今、枯れている最中です。でも「まだ腐ってはない」。まだ、ギリギリのところで保たれている。この「まだ」という言葉に、切迫感があります。
正義を植物の根に喩えるこの表現は、正義が生き物であり、栄養を必要とし、放置すれば枯れるものだという認識を示しています。かつては青々としていた正義の根が、今は枯れかかっている。それでも腐ってはいない——つまり、まだ死んではいない。復活の可能性は残されているのか、それとも、腐る前の最後の時間なのか。その曖昧さが、この曲の緊張感を生んでいます。
あなたに見せたい晴れてる空と、暗い矛盾

「あなたに見せたい こんなに 晴れてる空」というフレーズは、一見希望に満ちているように聞こえます。でも、後に「あなたと居るのに、どんなに晴れても暗い空」と続きます。この矛盾が、主人公の心の分裂を表しています。
外の空は晴れている。それを見せたい。でも、自分の内側の空は暗い。最も近くにいる「あなた」と一緒にいるのに、その暗さは変わらない。むしろ、一緒にいるからこそ、その対比が際立つのかもしれません。あなたは明るく晴れた世界にいるのに、自分だけが暗い空の下にいる——その孤独。あるいは、あなたに晴れた空を見せたいのに、自分の目には暗くしか見えない——その無力感。この「晴れてる」と「暗い」の共存が、タイトルの「パープルスカイ」という混色に繋がっているのです。
熱に至りフリーズする街と海

「熱に至りフリーズしだす街海 熱を呼び ぶり返す街海」——この部分は、言葉の選択が独特です。「熱」と「フリーズ」という相反する概念が同時に存在し、「街」と「海」が一語「街海」として表記されています。
熱があるのにフリーズする——これは、熱すぎて逆に動けなくなる、という現代社会の麻痺状態を示しているように思えます。情報が多すぎて、刺激が強すぎて、熱量が高すぎて、逆に思考停止してしまう。そして「ぶり返す」という言葉。熱が一度収まったかに見えて、また戻ってくる。この繰り返し。良くなったかと思えば、また悪化する。そんな循環の中に、私たちは生きているのではないでしょうか。
スマイル・ビリーという謎の存在

「いつ住み着いたんだ?スマイル・ビリー」——この突然の固有名詞が、曲に不穏さを加えています。スマイル・ビリーとは何者か。笑顔を強いる何か、あるいは偽りの笑顔をまとった自分自身の別人格でしょうか。
「いつ住み着いたんだ」という表現から、それは招かれざる客、寄生虫のような存在だと分かります。気づいたら、そこにいた。いつから?分からない。でももう、そこにいる。スマイル(笑顔)という一見ポジティブな言葉が、ここでは不気味な響きを持ちます。笑顔を強制する社会。笑顔でいなければならないというプレッシャー。それが人格化され、スマイル・ビリーという名前を与えられている——そんな解釈も可能でしょう。
方向を見失った今という時間

「どこ向かってんだっけ、今って」——この問いが、全てを集約しています。どこに向かっているのか分からない。そして「今って」という付け足しが、時間感覚の混乱を示しています。過去でも未来でもなく、「今」という時制そのものが曖昧になっている。
英雄のフリをしながら、呪われても進みながら、正義の根が枯れていくのを感じながら、それでも「あなたに晴れた空を見せたい」と願いながら——その全ての矛盾を抱えたまま、気づけば自分がどこに向かっているのか分からなくなっている。この迷いこそが、現代を生きる私たちの実感なのかもしれません。
結び – 紫の空の下で、それでも

マカロニえんぴつの「パープルスカイ」は、答えを出さない歌です。正義は枯れかかっているけど、まだ腐ってない。空は晴れているけど、暗い。英雄のフリをしているけど、見破られたい。全てが矛盾し、全てが曖昧で、全てが紫色に染まっている。
でも、その曖昧さこそが、この曲の誠実さなのだと私は思います。簡単な答えを出さない。「正義は勝つ」とも「諦めろ」とも言わない。ただ、「こんなに晴れてる」と、何度も繰り返す。その反復の中に、諦めきれない何かがある。見せたい相手がいる。それだけで、もう少し進める気がする——そんな、ささやかだけど確かな希望が、この曲には込められているのではないでしょうか。
紫の空は、完全な闇ではありません。赤と青が混ざった、複雑な色です。矛盾を抱えたまま、それでも燃え続ける「体の中の空」を信じて、私たちは今日も、どこかに向かって進んでいくのです。


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