Mrs. GREEN APPLE「クスシキ」歌詞考察 – 言葉にできない想いが巡る、魂の輪廻と愛の変容

本ページはプロモーションが含まれています

Mrs. GREEN APPLEの「クスシキ」。この古めかしいタイトルを見た瞬間、私は大森元貴という作詞家の言葉への執着を感じました。「クスシキ」とは「奇し」——奇妙な、不思議な、珍しいという意味の古語です。現代ではほとんど使われないこの言葉を、あえてタイトルに据える。それは、現代語では表現しきれない、複雑で矛盾した感情を描くためなのでしょう。

この曲が描くのは、単純な恋愛ではありません。「愛してる」と「ごめんね」の差、「愛してる」と「大好き」の違い、「こうしたい」よりも「こうして欲しい」を聞きたい欲望——そういった、言葉と感情のズレ、自己と他者の溝、そして「魂も貴方をまた想う今世も」「来世も」という、生を超えた時間軸での愛の継続。この曲は、愛を「摩訶不思議」な現象として、仏教的・哲学的に捉え直そうとする試みなのです。

この記事を書いた人

東京都出身33歳。数百曲の歌詞を分析してきた実績を持つ、”裏テーマ発掘”専門ブロガー。表層的な意味に惑わされず、作者の無意識、社会の深層を映す鏡としての歌詞を学術的な視点で考察します。読み終わった後、その曲が別物に聴こえます。

言霊は誠か、偽る彼奴が天に堕ちた逆説

「摩訶不思議だ言霊は誠か偽ってる彼奴は天に堕ちていったって聞いたんだけども 彼奴はどうも皆に愛されてたらしい」——冒頭から、この曲は言葉の真偽と存在の価値について問いかけます。

「言霊」とは、言葉に宿る霊的な力のこと。日本では古来、言葉には現実を変える力があると信じられてきました。でも「言霊は誠か」——その力は本当なのか、という疑問。そして「偽ってる彼奴」——嘘をついている誰かが、「天に堕ちていった」。通常、天は上昇するものですが、ここでは「堕ちる」と表現されている。この逆説が、この曲の世界観を示しています。

堕天の逆説

通常の価値観:
  悪人 → 地獄に堕ちる
  善人 → 天に昇る

この曲の世界観:
  偽る者 → 天に堕ちる(上昇ではなく下降)
  でも、皆に愛されていた

嘘つきなのに愛されていた——この矛盾が、人間関係の複雑さを象徴しています。真実を語ることが必ずしも愛されることに繋がらない。時には、優しい嘘の方が人を幸せにする。その曖昧さ、クスシキさ(奇妙さ)が、この曲のテーマです。

Mrs. GREEN APPLEの歌詞考察

感じたい思いは自由自在、奇しき術から転じたまほろば

「感じたい思いは故に自由自在だ奇しき術から転じたまほろば」——ここでは、感情と言葉の関係が語られます。

「感じたい思い」——つまり、本当に感じている感情ではなく、「感じたい」と願っている感情。人は時に、自分の感情さえも選択しようとします。「幸せを感じたい」「愛されていると思いたい」——そういった願望が、実際の感情を歪める。「故に自由自在」という表現が、その自在性を示しています。感情は、実は自分でコントロールできる(あるいは、コントロールしようとしている)——その危うさ。

「奇しき術から転じたまほろば」——「まほろば」とは、理想郷、素晴らしい場所を意味する古語。つまり、「奇妙な術(魔術?言葉の力?)」によって、理想の世界に変えようとしている。現実を言葉で塗り替える試み——それが、この曲全体を通底するテーマなのです。

あなたが居るだけで生きる傷みを知る矛盾

「『あなたが居る』それだけで今日も生きる傷みを思い知らされる」——この一行が、愛の両義性を鋭く突いています。

愛する人がいることは、通常、幸福の源とされます。でも、この曲は「生きる傷み」と言う。愛する人がいるからこそ、生きることの痛みを感じる——なぜなら、その人を失う恐怖、その人を傷つける可能性、その人に値しない自分への自覚——そういったものが、全て「あなたが居る」ことによって生まれるからです。

愛することの代償

孤独な状態愛する状態
失う恐怖がない失う恐怖がある
傷つける相手がいない傷つけてしまうかもしれない
責任がない責任がある
痛みが少ない痛みが深い

でも、それでも「今日も生きる」。その痛みを抱えてでも、あなたがいるから生きられる——その矛盾が、愛の本質なのかもしれません。

愛してるとごめんねの差は、月と太陽ほど

「愛してるとごめんねの差ってまるで月と太陽ね また明日会えるからいいやって何一つ学びやしない 魂も貴方をまた想う今世も奉仕だ」——ここで、言葉と時間の問題が提起されます。

「愛してる」と「ごめんね」——この二つの言葉の差を、「月と太陽」に喩える。月は太陽の光を反射するだけで、自ら光を発しない。つまり、「ごめんね」は「愛してる」の反射——本当に伝えたいのは愛なのに、言えなくて「ごめんね」と言ってしまう。あるいは、「愛してる」と言うべき場面で「ごめんね」と言ってしまう。その取り返しのつかなさ。

「また明日会えるからいいや」という油断が、「何一つ学びやしない」結果を招く。今日言わなくても、明日言えばいい——そう思っているうちに、永遠に言えなくなる。多くの後悔は、この「また明日」という先送りから生まれます。

「魂も貴方をまた想う今世も奉仕だ」——ここで時間軸が突然、生涯を超えます。「今世」という言葉が示すのは、輪廻転生の世界観。魂は何度も生まれ変わり、その度にあなたを想う。そして、その想いは「奉仕」——つまり、見返りを求めない献身。この仏教的な視点が、曲に深い精神性を与えています。

Mrs. GREEN APPLEの歌詞考察

こうしたいよりも、こうして欲しいが聞きたい欲望

「こうしたいとかよりこうして欲しいが聞きたい 思いの外 自分軸の世界一周半廻った 愛を喰らいたい私に効く薬は何処だ」——ここで、主人公の自己中心性が露わになります。

「こうしたい」(自分の意志)よりも「こうして欲しい」(相手の要求)を聞きたい——これは一見、相手を思いやる姿勢のように見えます。でも、実際には、相手の要求に応えることで、「良い人」「愛される人」になりたいという欲望。つまり、結局は「自分軸」なのです。

「世界一周半廻った」——自分を中心に世界を一周半。つまり、一度回ってまた半分戻ってきた。ぐるぐると自分の周りを回っているだけで、他者の視点には到達していない。その自覚が「思いの外」という言葉に込められています。

「愛を喰らいたい」——この表現の貪欲さ。愛を「受け取る」でも「感じる」でもなく、「喰らう」。まるで空腹を満たすように、愛を欲している。「私に効く薬は何処だ」——愛を薬に喩えるこの感覚。依存性、中毒性——愛を病の治療薬として求めている。その不健全さを、この曲は隠しません。

馬鹿に言わせりゃ極楽だが、正直になれない私

「馬鹿に言わせりゃこの世は極楽だ 正直になれない私はいつか素直になれるあの子にきっと色々と遅れては奪われる」——ここには、自己卑下と羨望が混在しています。

「馬鹿に言わせりゃ」——つまり、単純な人、深く考えない人にとっては、この世は極楽に見える。でも、「正直になれない私」にとっては、そうではない。本音を言えない、感情を素直に表現できない——その不器用さが、世界を複雑にしている。

「いつか素直になれるあの子」——他者への羨望。自分ができないことを、簡単にやってのける誰か。その人に「色々と遅れては奪われる」——仕事の機会、恋愛のチャンス、人生の幸福——素直な人が先に手に入れていく。不器用な自分は、いつも遅れを取る。その悔しさと、でもどうしようもない性格への諦め。

Mrs. GREEN APPLEの歌詞考察

愛してると大好きの差は、月と月面ほど

「愛してると大好きの差ってまるで月と月面ね また呑んだ言葉が芽を出して身体の中にずっと残れば気づけば拗れる恋模様 めくれば次の章」——先ほどは「月と太陽」でしたが、今度は「月と月面」。

月と月面——これは、同じものの表と裏、あるいは見る側と見られる側。「愛してる」と「大好き」——言葉は違うけれど、表現しようとしている感情は同じものの別の面なのかもしれない。でも、その微妙な差が、関係を大きく変える。

「また呑んだ言葉が芽を出して」——言わなかった言葉、飲み込んだ想いが、体の中で「芽を出す」。つまり、抑圧された感情は消えずに、内側で成長し続ける。「身体の中にずっと残れば」——それが蓄積されていくと、「気づけば拗れる恋模様」。言わないことが、関係をこじらせる。

「めくれば次の章」——でも、それもまた人生の一ページ。拗れても、次がある。その諦念と希望が共存しています。

石になった貴方の歌を口ずさんで歩く孤独

「石になった貴方の歌を口ずさんで歩こう ひとりじゃないって笑おう 分厚めの次の本 病になった私の歌を口ずさんで歩こう ひとりの夜を歩こう」——ここで、生と死、あるいは変容のテーマが登場します。

「石になった貴方」——死の比喩でしょうか。あるいは、感情を失った、心を閉ざした状態。その貴方が残した「歌」——言葉、思い出、影響——それを「口ずさんで歩こう」。故人を偲ぶように、あるいは、もういない人の記憶と共に生きる。

「ひとりじゃないって笑おう」——実際には一人なのに、そう思い込もうとする。その自己欺瞞と、でもそれが必要な弱さ。「分厚めの次の本」——人生という物語は続く。今の章がどんなに辛くても、次の章がある。

「病になった私の歌」——今度は自分が「病」になっている。愛の病、心の病——それもまた「歌」として残る。そして「ひとりの夜を歩こう」——今度は、一人であることを受け入れる。「ひとりじゃない」と言い聞かせるのではなく、「ひとりの夜」をそのまま歩く。その成長。

愛してるよごめんねじゃあね、夜の太陽という矛盾

「愛してるよごめんねじゃあね まるで夜の太陽ね クスシキ時間の流れで大切を見つけた」——クライマックスで、三つの言葉が並列されます。

「愛してるよ」「ごめんね」「じゃあね」——告白、謝罪、別れ。この三つが同時に語られる。そして「夜の太陽」という、あり得ない存在の比喩。夜に太陽は出ない。でも、その矛盾こそが、この関係の本質なのでしょう。

あり得ないけど、確かに感じる何か。論理的には矛盾しているけど、感情的には真実である何か。それが「クスシキ(奇妙な)」もの。

「時間の流れで大切を見つけた」——時間が経つことで、何が本当に大切だったのかが分かる。その時には気づかなかった、あるいは気づいていても表現できなかった大切さ。それを、時間という距離を置くことで、ようやく見つけた。

魂は貴方をまた想う、来世も続く愛の輪廻

「魂も貴方をまた想う来世も」——最後のこの一行が、曲全体を時間を超えた物語にします。

「魂も」——肉体ではなく、魂。つまり、身体が滅びても残るもの。「貴方をまた想う」——今世で想ったように、来世でも想う。「来世も」——生まれ変わっても、また出会って、また愛する。

愛の時間軸

今世:
  愛してる / ごめんね / じゃあね
    ↓
  別れ、死
    ↓
来世:
  また出会う
    ↓
  また想う
    ↓
  また別れる
    ↓
  永遠に繰り返す輪廻

この仏教的な輪廻の世界観が、この曲に形而上学的な深みを与えています。一つの人生で完結しない愛。何度生まれ変わっても繰り返される出会いと別れ。その永遠性と儚さの両立——それが、この曲の最終的なメッセージなのです。

結び – 言葉にできない想いを、古語と現代語で紡ぐ試み

「クスシキ」という曲は、Mrs. GREEN APPLEの楽曲の中でも特に言葉へのこだわりが強い作品です。古語(クスシキ、まほろば)と現代語(愛してる、ごめんね)、仏教用語(魂、今世、来世)と日常語——それらを混在させることで、言葉では表現しきれない複雑な感情を、なんとか形にしようとしています。

この曲が描くのは、単純な恋愛ではありません。「愛してる」と「ごめんね」と「じゃあね」が同時に存在する、矛盾した感情。「こうしたい」よりも「こうして欲しい」を聞きたいという、自己中心的な優しさ。「石になった貴方」と「病になった私」という、変容と喪失。そして、それら全てを超えて、「魂も貴方をまた想う来世も」という、時間を超えた愛の継続。

摩訶不思議(大いに不思議)で、クスシキ(奇妙)な、愛という現象——それを、大森元貴は、言葉を尽くして、でも言葉では尽くせないと知りながら、歌い続けているのです。

Mrs. GREEN APPLEの歌詞考察

コメント

タイトルとURLをコピーしました