Official髭男dism「らしさ」歌詞考察 – 自分という矛盾を抱えて走り続ける、終わりなき自己との闘争

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Official髭男dismの「らしさ」。このタイトルを見た瞬間、私は身構えました。「らしさ」とは何か——それは、自分を定義する言葉であり、同時に自分を縛る檻でもあります。「お前らしいね」と言われる時、それは褒め言葉なのか、諦めの言葉なのか。この曲が描くのは、その「らしさ」を肯定しながらも、それに縛られることへの激しい抵抗です。

冒頭から「誇るよ全部 僕が僕であるための要素を」と高らかに宣言しながらも、曲が進むにつれて、その「全部」の中には、恵まれなかった才能も、丈夫じゃない性格も、負け続けた記憶も含まれていることが明らかになります。そして最後には「息絶えるまで泣くんだ 笑うんだ」という、生き切ることへの決意に辿り着く——この曲は、自己肯定と自己否定の間で揺れ動きながら、それでも前に進もうとする人間の、痛切な叫びなのです。

この記事を書いた人

東京都出身33歳。数百曲の歌詞を分析してきた実績を持つ、”裏テーマ発掘”専門ブロガー。表層的な意味に惑わされず、作者の無意識、社会の深層を映す鏡としての歌詞を学術的な視点で考察します。読み終わった後、その曲が別物に聴こえます。

黒い部分も含めた全てを愛すると言いながら、実は引き裂かれている内面

「誇るよ全部 僕が僕であるための要素を 好きだよ全部 君という僕の黒い部分も」——この冒頭の宣言は、一見すると完璧な自己肯定に聞こえます。全てを誇り、全てを好きだと言い切る。でも、すぐに「君という僕の黒い部分」という奇妙な表現が現れます。「君」と「僕」が同一人物であることを示唆しながら、それを「黒い部分」と呼んでいる——つまり、自分の中に、もう一人の自分がいて、その存在を暗く、ネガティブなものとして認識しているのです。

自己の二重構造

表の自分裏の自分(君)
誇りたい自分黒い部分
肯定的側面否定的側面
理想現実

この曲が一貫して「君」と呼びかけている相手は、他者ではなく、自分自身の別の側面です。その分裂した自己との対話——あるいは闘争——が、この曲の骨格を成しています。

恵まれなかった才能と、それでも描く大それた夢の矛盾

「恵まれなかった才能も 丈夫じゃない性格も だけど大それた夢をちゃんと描く強かさも」——この一節には、髭男の藤原聡という人物の本質が凝縮されています。才能に恵まれなかった自覚がある。性格も強くない。でも、それにも関わらず——いや、だからこそ——「大それた夢」を描く。その矛盾を「強かさ」と呼んでいるところに、複雑な自己認識が表れています。

「強か」という言葉は、したたか、という意味で、必ずしもポジティブな言葉ではありません。むしろ、ずる賢い、という含意さえあります。才能がないのに夢を見る——それは愚かさでもあり、同時に、諦めない図々しさでもある。その自分を「強か」と評する自嘲と、でもそれがなければ生きていけないという自覚が、この一行に込められています。

足音の群衆に引き裂かれる努力と、何度も頼った闇

「焦るよいつも 足音の群衆が僕の努力を引き裂いて 何度 君という闇の世話になったろう」——ここで、競争の現実が突きつけられます。「足音の群衆」という表現が秀逸です。顔も名前も分からない、無数の競争相手たち。その足音——つまり、彼らの努力や前進——が、自分の努力を無意味にしてしまう。どれだけ頑張っても、追いつけない、追い抜かれる。

そして「君という闇の世話になった」という表現。先ほどの「君という僕の黒い部分」と呼応しています。つまり、挫折した時、競争に負けた時、自分の中の「闇」——諦め、逃避、自己憐憫——に何度も助けられた、あるいは頼ってしまった、ということです。その「闇」は悪いものなのか。時にはそれに身を委ねることで、生き延びてきたのではないか。その複雑な関係性が示唆されています。

オンリーワン論への抵抗と、眠れない自分への嫌悪

「オンリーワンでもいいと無理やりつけたアイマスクの奥で一睡もしやしない自分も見飽きたよ」——この部分は、現代日本社会に蔓延する「オンリーワン思想」への痛烈な批判です。競争から降りて、「ナンバーワンじゃなくてもいい、オンリーワンでいい」という言説——それは、一見優しく、包摂的に聞こえます。でも、主人公はそれを「無理やりつけたアイマスク」と呼びます。

つまり、本当は納得していないのに、自分を納得させるために、無理やり目を塞いでいる。でも、その目隠しの下で、目は見開いたまま、一睡もできない。眠れない——つまり、心の底では受け入れていない、休めていない。その偽りの自己説得に、もう飽き飽きしている。この自己嫌悪が、曲の中盤への激しい展開を準備しています。

現実的に見れば絶望的だが、直感的には納得できない矛盾

「『現実的、客観的に見れば 絶望的。絶対的1位はきっと取れないな』分かってる 分かっちゃいるんだけど 圧倒的、直感的に僕は 納得出来ちゃいない」——この部分が、この曲の、そして髭男というバンドの本質を突いています。

理性と感情の対立

理性:現実的、客観的 → 絶望的
   ↓
「分かってる」
   ↓
でも
   ↓
感情:圧倒的、直感的 → 納得できない

頭では分かっている。冷静に、客観的に見れば、1位は取れないだろう。でも、心が、身体が、それを受け入れない。この「分かっちゃいるんだけど」というフレーズに、引き裂かれた自己の苦しみが凝縮されています。理性では諦めているのに、感情が諦めない。この分裂が、主人公を——そしておそらく藤原聡自身を——苦しめ続けているのです。

面倒で不適合な長所という、祝福と呪い

「ああ なんでこんなにも面倒で 不適合な長所を宿してしまったんだろう」——この嘆きは、才能や情熱を持つことの苦しみを表現しています。「長所」と呼んでいるにも関わらず、それを「面倒」で「不適合」と形容する。つまり、この長所——おそらく音楽への情熱や才能——は、社会に適合しない、生きづらさの原因なのです。

もし音楽に興味がなければ、もっと楽に生きられたかもしれない。普通の仕事に就いて、普通の幸せを追求できたかもしれない。でも、この「長所」があるせいで、1位を目指さずにはいられない。諦められない。その苦しみを「なんで宿してしまったんだろう」と、まるで呪いのように語る——この視点が、この曲をユニークにしています。

らしさを抱えて泣いて笑って競い合う、矛盾に満ちた日々

「らしさ そんなものを抱えては 僕らは泣いてた 笑ってた 競い合ったまま」——ここで初めて、タイトルの「らしさ」が歌詞に登場します。「そんなものを抱えては」という言い方が、「らしさ」を重荷のように扱っています。でも、その重荷を背負いながら、「泣いてた 笑ってた 競い合った」——過去形で語られる、これまでの日々。

「僕ら」という複数形も重要です。これは、自分の中の複数の自己(表の僕と、君と呼ばれる裏の僕)を指すのか、それとも、同じように苦しむ仲間たちを指すのか。おそらく両方でしょう。自分の中で分裂し、でも外の世界とも競い合い、その中で泣いたり笑ったりしながら、進んできた。その全てが「らしさ」を抱えた結果なのです。

何度勝っても苦しい未来と、負けた時の思い出という毒

「何度勝っても それはそれで未来は苦しいもの ああ まじでなんなの? 負けて負けて負けまくった時ほど 思い出話が僕の歩みを遅めてしまうよ 過去の僕と君からの最低のプレゼント」——この部分は、勝利と敗北の両方が、結局は苦しみをもたらすという、救いのない真実を突きつけます。

勝てば嬉しいはずなのに、「それはそれで未来は苦しい」。なぜなら、次のハードルが上がるから。期待が高まるから。もっと勝たなければいけなくなるから。一方、負けた時の記憶は「思い出話」として美化され、それが現在の行動を妨げる。「あの時は良かった」「あの頃は輝いていた」——そんな過去への郷愁が、前に進む足を引っ張る。それを「最低のプレゼント」と呼ぶ辛辣さ。

打算的で消極的な面という絆創膏と、ふやけたプライド

「打算的で消極的な面は 僕を守る絆創膏 怖くてきっと剥げないな 分かってる 分かっちゃいるんだけど プライドは新品のままで白くふやけ痒がっている」——ここでは、防衛機制としての消極性と、傷ついたままのプライドが対比されます。

打算的で消極的——つまり、リスクを避け、傷つかないように行動する。それは「絆創膏」として機能している。傷を保護している。でも、本当は剥がさなければいけない。剥がして、傷を空気に晒して、治癒させなければいけない。でも「怖くて」剥げない。一方、プライドは「新品のまま」——つまり、使われていない、傷ついていない。でも「白くふやけ」ている。水に浸かりすぎた皮膚のように、不健康に膨張している。この二つのイメージが、行動できない自分の状態を視覚的に表現しています。

君(自分)の言い訳という誘惑と、それへの反逆

「『始めたのが遅いから』『世界はあまりにも広いから』『天才はレベルが違うから』『てかお前が楽しけりゃいいじゃん』ああ うるさいな それでもなんか君に負けてしまう日もあった」——この部分は、自分の中の「諦めの声」との対話です。四つの言い訳——始めるのが遅かった、世界が広すぎる、天才には勝てない、そして最後の「楽しければいい」という最も甘美な誘惑。

これらは全て、自分自身が自分に言い聞かせてきた言葉でしょう。そして、ある意味では真実です。でも「うるさいな」と拒絶する。それでも、「君に負けてしまう日もあった」と認める。つまり、その誘惑に屈して、諦めかけた日もあったということです。

ブレない芯がないことが「らしさ」だという逆説的自己認識

「まあ そりゃそっか ブレない芯や思想なんて僕らしくはないや」——この一行は、自己認識の深化を示しています。多くの自己啓発本や成功談は、「ブレない芯を持て」と説きます。でも、主人公は言います——それは「僕らしくない」と。つまり、揺れ動くこと、矛盾すること、葛藤すること——それこそが「僕らしさ」なのだと。

この逆説的な自己肯定が、この曲の転換点です。ブレないことが正しいのではなく、ブレることが自分なのだと認める。その上で——

でも今は限界だという叫びと、消えてなくなるなという祈り

「でも今の僕は もう限界だ 君の言いなりになってたまるか 僕はやっぱ 誰にも負けたくないんだ そんな熱よ どうか消えてなくなるな!」——この爆発が、曲のクライマックスです。「もう限界だ」という叫び。諦めの声(君)に従うのは、もう限界。そして「誰にも負けたくない」という、最も原初的な欲望の肯定。

「そんな熱よ どうか消えてなくなるな」という祈りが、切実です。理性では「諦めろ」と言っている。でも、心の奥底にある「誰にも負けたくない」という熱——それだけは、消えないでくれ。その熱があるから苦しいのに、その熱がなければ生きている意味がない。その矛盾を抱えたまま、でもその熱を守りたい——その願いが、この曲の核心です。

息絶えるまで泣いて笑うという、生き切ることへの覚悟

「らしさ そんなものを抱えては ああ 息絶えるまで泣くんだ 笑うんだ『本当に良かった』ああ 生きてて良かったな」——最後に辿り着くのは、「らしさ」を抱えたまま、生き切るという決意です。「息絶えるまで」——つまり、死ぬまで。その日まで、泣き続け、笑い続ける。

「本当に良かった」「生きてて良かったな」——これは、未来の自分が、人生の最後に言うであろう言葉です。まだ言えない言葉。でも、言いたい言葉。そう言えるように生きたい——その願いが、この曲の結末です。矛盾を抱えたまま、苦しみながら、でも熱を持ったまま、生き切る。それが、この曲が提示する答えなのです。

結び – らしさという呪いを、祝福に変えるまで

「らしさ」は、この曲において、一貫して重荷として描かれます。面倒で、不適合で、苦しみの源泉。でも同時に、それがなければ自分ではいられない、アイデンティティの核でもあります。才能に恵まれず、性格も強くなく、現実的に見れば絶望的——でも、諦められない。その矛盾こそが「らしさ」なのです。

この曲は、簡単な自己肯定の歌ではありません。「ありのままでいい」と言って終わるのではなく、「ありのままが苦しい、でもそれでも生きる」と言っている。その誠実さが、多くの人の心を打つのでしょう。誰もが、何かしらの「らしさ」という重荷を背負っています。それを誇れる日もあれば、呪いたくなる日もある。でも、それを抱えたまま、息絶えるまで、泣いて笑って、生きていく——それ以外に、道はないのです。


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