RADWIMPS『いいんですか?』歌詞の意味を徹底考察|愛することへの許可と、その答え

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RADWIMPSの『いいんですか?』。このシンプルで直接的なタイトルを見たとき、あなたは何を感じますか?

「いいんですか?」——許可を求める言葉。確認する言葉。そして同時に、不安を表す言葉。

愛することは、時に恐ろしいことです。相手を信じることは、裏切られるリスクを背負うことです。だから、問いかけずにはいられない。「こんなに好きになって、いいんですか?」と。

この曲は、その問いと、その答えを、野田洋次郎らしいユーモアと真剣さで歌い上げます。

「いいんですか いいんですか こんなに人を好きになっていいんですか?」

冒頭から、この問いかけが繰り返されます。そして曲全体を通して、この問いと答えが交互に現れる。その構造が、この曲の核心なのです。

「こんなに人を好きになっていいんですか?」という、愛の不安

この問いが、曲全体のテーマです。

「いいんですか いいんですか こんなに人を好きになっていいんですか? いいんですか いいんですか こんなに人を信じてもいいんですか?」

「こんなに」——程度の問題。少しだけなら大丈夫かもしれない。でも「こんなに」好きになってしまった。「こんなに」信じてしまっている。

その度を越えた愛情と信頼が、不安を生む。

私は、この問いかけに、愛することの本質的な恐怖を感じます。

愛するということは、自分を無防備にすること。相手に力を渡すこと。だから、恐い。「こんなに好きになって、大丈夫なんだろうか?」という不安。

でも同時に、この問いかけには、もう止められないという諦めも含まれています。「いいんですか?」と聞きながら、もう好きになってしまっている。その矛盾。

「大好物はね 鳥の唐揚げ」という、日常からの比喩

そして、野田洋次郎らしいユーモアが始まります。

「大好物はね 鳥の唐揚げ 更に言えばうちのおかんが作る鳥のアンかけ でもどれも勝てない お前にゃ敵わない」

「鳥の唐揚げ」——庶民的な、誰もが好きな食べ物。そして「うちのおかんが作る鳥のアンかけ」——最も美味しいと思っていたもの。

でも「お前にゃ敵わない」——それよりも、お前の方が好き。

この日常的な比喩が、野田洋次郎らしいと私は感じます。壮大な言葉ではなく、身近な食べ物で愛を語る。その親しみやすさ。

「お前がおかずならば俺はどんぶりで50杯は軽くご飯おかわりできるよ」

そして、さらに具体的な比喩。「50杯」という誇張。でもその誇張が、愛の大きさを表している。

「だけども んなこと言うと 『じゃあやってみて』とかってお前は言いだすけど」

そして、相手の反応の予測。「じゃあやってみて」——冗談を真に受けて、挑戦させようとする相手。

この会話の想像が、二人の関係性を生き生きと描いています。お互いをよく知っている。冗談の言い合いができる。そんな親密さ。

「それはあくまでも例えの話でありまして だどもやれと言われりゃ おいどんも男なわけで」

「あくまでも例えの話」——言い訳。でも「やれと言われりゃ おいどんも男なわけで」——意地もある。

「おいどん」という方言(鹿児島弁)が、突然入ってくる。この言葉の遊びが、野田洋次郎らしい。

「富良野は寒いわけで お前が好きなわけで ちょびっとでも分かってもらいたいわけで」

そして「~わけで」が連続する。「富良野は寒い」——これは、前後の文脈とは関係ない、突然の事実。でもそれが「お前が好きなわけで」と同列に並ぶ。

この飛躍が、面白いと同時に、「お前が好き」という感情が、「富良野は寒い」と同じくらい動かしがたい事実だということを表しているのです。

「ちなみに、オカズって 変な意味じゃないんで 嫌いにならないでね」

そして、念押し。「オカズ」という言葉が誤解されないように。この慌てた感じが、可愛らしいと私は感じます。

真面目に愛を語りながら、でもちゃんとツッコミどころを残している。そのバランス。

「いいんですよ いいんですよ あなたが選んだ人ならば」という、答え

そして、問いに対する答えが返ってきます。

「いいんですよ いいんですよ あなたが選んだ人ならば いいんですよ いいんですよ あんたが選んだ道ならば」

「いいんですよ」——肯定。許可。承認。

「あなたが選んだ人ならば」——条件つき。でもその条件が重要。

つまり、誰を好きになってもいいわけではない。でも「あなたが選んだ人」なら、いい。あなたの選択を信じる。あなたの判断を尊重する。

私は、この答えに、深い信頼を感じます。

「好きになっていいか」という問いに対して、「その人があなたにふさわしいか」で判断するのではなく、「あなたが選んだなら」という理由で肯定する。

その無条件の信頼。それが、愛なのです。

「今まで俺は何回お前を泣かせたんだろう」という、自己反省

二番では、関係の現実が語られます。

「今まで俺は何回お前を泣かせたんだろう そ��に比べて何回笑わせてやれたんだろう」

自己反省。「何回泣かせたんだろう」——数え切れないほど、傷つけてきた。

「それに比べて何回笑わせてやれたんだろう」——比較。泣かせた回数と、笑わせた回数。どちらが多いのか。

この問いが、切ないと私は感じます。自信がない。おそらく、泣かせた回数の方が多いのではないか。そんな不安。

「更には嬉し泣きっていう合わせ技も お前は持ち合わせているから 余計分かんなくなんだよ」

そして、「嬉し泣き」という複雑さ。泣いているけれど、嬉しい。そんな涙もある。

「余計分かんなくなんだよ」——この混乱が、愛の複雑さを表しています。単純に「笑顔=幸せ、涙=不幸」ではない。その複雑さを理解しようとする姿勢。

「『ごめんね』と『ありがとう』を繰り返せばいいんだよ」という、関係の処方箋

そして、関係を続けるための答えが示されます。

「『ごめんね』と『ありがとう』を繰り返せばいいんだよ その比率は五分と五分に限りなく近いけど」

シンプルな処方箋。「ごめんね」と「ありがとう」——謝罪と感謝。この二つを繰り返す。

「五分と五分に限りなく近い」——ほぼ同じ回数。つまり、謝ることも多いし、感謝することも多い。そんな関係。

私は、この現実的な関係観に、野田洋次郎の成熟を感じます。完璧な関係なんてない。謝ることも多い。でもそれでいい、と。

「例えば999999回ずつで最期の 瞬間を迎えたとしよう 『ありがとう』の勝ちはもう間違いない 必ずや到達するよ1000000回」

そして、数学的な思考実験。999999回ずつ——ほぼ同じ。でも最後に「ありがとう」を言う。だから、1000000対999999で「ありがとう」の勝ち。

「だってさ だってさ だってだってだってさ だって俺のこの世の最期の言葉は あなたに言う『ありがとう』」

「だってさ」の連続——興奮、確信。そして理由。

「最期の言葉は あなたに言う『ありがとう』」——この宣言が、とても美しいと私は感じます。

最後に言う言葉——それは「ごめんね」ではなく、「ありがとう」。つまり、人生を振り返った時、感謝の方が上回る。そう信じている。その希望。

「あなたといる意味を探したら 明日を生きる答えになったよ」という、相互依存の美しさ

そして、存在の意味が語られます。

「あなたといる意味を探したら 明日を生きる答えになったよ 明日を生きる意味を探したら あなたといる答えになったよ」

この二行の対称性が、美しいと私は感じます。

「あなたといる意味」→「明日を生きる答え」 「明日を生きる意味」→「あなたといる答え」

つまり、あなたがいるから明日を生きられる。そして、明日を生きる理由は、あなたといるため。

この循環。この相互依存。それが、愛なのです。

依存は悪いことだと言われます。でも、この健全な相互依存——お互いが、お互いの生きる理由になる——は、美しいと私は思います。

「むしろそうであって欲しいんですよ」という、最後の答え

そして、最後のサビで、答えが深まります。

「いいんですよ いいんですよ あなたが選んだ人ならば いいんですよ いいんですよ むしろそうであって欲しいんですよ」

「むしろそうであって欲しい」——この追加が重要です。

「いい」だけではない。「むしろ、そうであって欲しい」——積極的な願い。

つまり、「こんなに好きになっていいんですか?」という問いに対して、「いいですよ」を超えて、「そうであって欲しい」と答えているのです。

私は、この答えに、愛の本質を感じます。

相手が自分を好きでいてくれること。それを望む。願う。そしてそれは、恥ずかしいことでも、わがままでもない。

愛し、愛されることを望む。それが、人間なのだと。

「あなたが選んだ人ならば あなたが愛した人ならば あなたが望んだ人ならば」

最後に、三つの条件が並びます。

「選んだ」「愛した」「望んだ」——過去形。つまり、もう決まっている。あなたは選んだ。愛した。望んだ。

だから、いいんですよ、と。

タイトル『いいんですか?』が示す、許可を求める愛

最後に、もう一度タイトルについて考えてみましょう。

『いいんですか?』——疑問形。

愛の歌なのに、疑問形のタイトル。普通なら、「愛してる」「好きだ」という断定形。

でも野田洋次郎は、「いいんですか?」と問う。

なぜか?愛することは、恐ろしいことだから。傷つくかもしれないから。裏切られるかもしれないから。

だから、許可を求める。確認する。「こんなに好きになって、いいんですか?」と。

そして、その問いに対する答えも、この曲の中にある。「いいんですよ」「むしろそうであって欲しい」と。

つまり、この曲は問いと答えの対話なのです。不安な自分と、それを肯定する自分(あるいは相手)との対話。

まとめ:愛することへの許可と、その肯定

今回は、RADWIMPSの『いいんですか?』の歌詞に込められた想いを考察してきました。最後に、この記事のポイントをまとめてみましょう。

愛の不安 「こんなに人を好きになっていいんですか?」——度を越えた愛への恐れ。

日常からの比喩 「鳥の唐揚げ」——壮大な言葉ではなく、身近な食べ物で愛を語る親しみやすさ。

条件つきの肯定 「あなたが選んだ人ならば」——無条件の信頼に基づく許可。

謝罪と感謝の均衡 「『ごめんね』と『ありがとう』を繰り返せばいいんだよ」——現実的な関係の処方箋。

最期の言葉 「俺のこの世の最期の言葉は あなたに言う『ありがとう』」——人生を総括する感謝。

相互依存の美しさ 「あなたといる意味」と「明日を生きる意味」の循環——健全な相互依存。

積極的な願い 「むしろそうであって欲しい」——「いい」を超えた、積極的な肯定。

『いいんですか?』は、愛することへの不安と、その肯定を歌った曲です。

愛することは、恐ろしい。相手を信じることは、リスクを伴う。だから、「いいんですか?」と問わずにはいられない。

でも、その問いに対する答えは、「いいんですよ」。そして「むしろそうであって欲しい」。

愛することを恐れなくていい。信じることを躊躇しなくていい。

「あなたが選んだ人ならば」「あなたが愛した人ならば」「あなたが望んだ人ならば」——その選択を、信じていい。

最期の言葉が「ありがとう」になるように。999999回の「ごめんね」があっても、1000000回目の「ありがとう」で終われるように。

そんな関係を、この曲は肯定しているのです。

あなたも、「こんなに好きになっていいんですか?」と不安になったことがありますか?

もしそうなら、この曲が答えてくれています。「いいんですよ」「むしろそうであって欲しい」と。

愛することを恐れないで。あなたが選んだ人なら、あなたが愛した人なら、あなたが望んだ人なら——いいんですよ。

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