RADWIMPSの『MOUNTAIN VANILLA』。このタイトルを見たとき、あなたは何を感じましたか?
「山」と「バニラ」——一見、全く結びつかない二つの言葉。山は壮大で、冒険的で、危険さえも孕んでいる。一方、バニラは甘くて、優しくて、安心感がある。この対比が、曲の世界観を象徴しているように私は感じます。
野田洋次郎の歌詞は、いつも日常の中にある矛盾や、言葉にしづらい感情を鋭く切り取ります。この曲もまた、「嘘」と「真実」、「終わり」と「永遠」、そして「死」と「生」という対立する概念が交錯する、不思議な世界を描いているのです。
「嘘つきはダメと散々言われて そういうもんかと大人になってみたけれど」
冒頭から、社会の常識への疑問が投げかけられます。大人になるということは、こういう矛盾を抱えながら生きるということなのかもしれません。
「嘘までついて手に入れたいものがあったあの頃が 懐かしい」という、純粋な欲望への郷愁

この曲で最初に私の心を掴んだのが、
「嘘までついて手に入れたいものがあったあの頃が 懐かしい」
という歌詞です。
普通なら、嘘をついていた過去を恥じたり、後悔したりしそうなものです。でも野田洋次郎は「懐かしい」と歌う。この感覚が、とてもリアルだと私は感じます。
子どもの頃や若い頃、私たちは何かが欲しくて欲しくてたまらなかった。それが正しいことかどうかなんて関係なく、ただ欲しかった。そのためなら嘘だってついた。その純粋な欲望の強さを、大人になった今、懐かしんでいるのです。
これは決して「嘘をつくこと」を肯定しているわけではありません。むしろ、「嘘をつくほど何かを欲しがった自分」がいなくなってしまったことへの寂しさを歌っているのではないでしょうか。
大人になると、欲望は丸くなります。無難になります。リスクを避けるようになります。でもそれって、本当に成長なのか?という問いが、ここには込められているように思います。
「世界が終わる前に」と「次の髪型」という、壮大と日常の落差

続く歌詞で、野田洋次郎は巧みな対比を見せます。
「世界が終わる前に 君に伝えなきゃいけないことがあるって言うのにさ 君は次の髪型を決めるので忙しすぎて もどかしい」
「世界が終わる」という壮大なテーマと、「次の髪型」という日常的な関心事。このギャップが、恋する人のもどかしさを見事に表現しています。
私は、この歌詞にとても共感します。自分にとって重大なことが、相手にとっては些細なことかもしれない。その温度差、その非対称性こそが、恋の本質なのかもしれません。
でも同時に、私はここに優しさも感じます。「世界が終わる」ほどの重大事を抱えている時に、「髪型」を気にしている君。その平和さ、その日常性を、語り手は否定していません。むしろ、そんな君を愛おしく思っているのではないでしょうか。
「君の横で揺らめいて ふてくされた風を装う僕の心の尻尾は ずっと揺れてる」
この「心の尻尾」という表現も、絶妙です。犬のように、本当は嬉しくて尻尾を振っているのに、ふてくされたふりをしている。その不器用さが、とても人間らしく感じます。
「明けない夜を買ってきたんだよ」という、時間を止めたい願い

そしてサビで歌われる、
「明けない夜を買ってきたんだよ どこに行こうかね」
という歌詞。
「明けない夜を買う」——なんと詩的で、切ない表現でしょうか。
夜はいつか必ず明けます。それは時間の流れが止まらないということであり、すべてがいつか終わるということです。でも、もしその夜が明けなかったら?もし時間を止められたら?
私は、この歌詞に、今この瞬間を永遠にしたいという切実な願いを感じます。君といるこの夜が終わってほしくない。だから「明けない夜」を買ってきた。そんなファンタジーを、語り手は語るのです。
「アジカンとエルレとバンプを爆音で流してさ」
という具体的なバンド名の列挙も、リアリティを生み出しています。ASIAN KUNG-FU GENERATION、ELLEGARDEN、BUMP OF CHICKEN——2000年代の日本のロックシーンを彩ったバンドたち。この世代の人々にとって、青春そのものの音楽です。
つまり、「明けない夜」で流すのは、青春の音楽。終わってほしくない青春を、音楽と共に永遠にしたい。そんな願いが込められているのではないでしょうか。
「バレない嘘は嘘じゃない」という、倫理への挑戦

そして続く歌詞、
「バレない嘘は嘘じゃないとかどうでもいいから あるだけの未来をこの夜に使ってしまいたい」
ここで再び「嘘」というテーマが現れます。
「バレない嘘は嘘じゃない」という言葉は、一種の詭弁です。倫理的には明らかに間違っています。でも野田洋次郎は、「どうでもいいから」と切り捨てる。
私は、これを単なる開き直りとは捉えていません。むしろ、倫理や正しさよりも、今この瞬間の方が大切だという価値観の宣言なのだと感じます。
「あるだけの未来をこの夜に使ってしまいたい」——この「使ってしまいたい」という表現が、とても重要です。
未来は、普通は守るものです。将来のために、今を我慢する。それが大人の生き方とされています。でもここでは、その未来を「この夜」に使い切ってしまうと言う。つまり、未来よりも今を選ぶのです。
嘘か本当かなんてどうでもいい。明日があるかないかもどうでもいい。今、君とこの夜を過ごせるなら、すべてを使い切ってもいい。そんな覚悟が、ここには表れているのではないでしょうか。
「苦しまない死に方」を調べる僕たちという、現代的な絶望

曲の中盤で、突然トーンが変わります。
「『苦しまない死に方』を一度でも調べたことがある僕たちは つまるとこ 『めんどくさがり』を何百周して今日も生き延びている同士さ」
この歌詞には、私は強い衝撃を受けました。
「苦しまない死に方」を検索したことがある——これは現代的な絶望の形です。インターネットがあるから、こういう検索ができてしまう。そしておそらく、多くの人が一度は検索したことがあるのではないでしょうか。
でも野田洋次郎は、それを重々しく語るのではなく、「つまるとこ『めんどくさがり』」と言い換えます。
死にたいほど辛いのか、それとも生きるのがめんどくさいのか。その境界線は曖昧です。でも、「何百周して」という表現が示すように、その気持ちをぐるぐると巡りながら、結局「今日も生き延びている」のです。
「同士さ」という呼びかけも、印象的です。これは、聴いている私たちに向けられた言葉でもあります。そうやって生き延びている人は、あなただけじゃない。僕たちは同じだよ、と。
私は、この歌詞に救いを感じます。絶望を語りながら、でも孤独ではないと言ってくれる。その優しさが、ここにはあるのです。
「後悔なんて一つもない」と言えない人への共感

そして続く、
「後悔なんて一つもない そんなやつには 見えはしない羽根をバタつかせ あの星座まで」
という歌詞。
「後悔なんて一つもない そんなやつ」——これは、ポジティブに生きている人、前だけを向いて進める人のことでしょう。でもその後に「そんなやつには見えはしない羽根」と続く。
つまり、後悔だらけの人間だからこそ見える何かがあるということです。
私は、この歌詞に深く共感します。後悔しない人生なんて、本当にあるのでしょうか?むしろ、後悔だらけだからこそ、見える景色があるのではないでしょうか。
「羽根をバタつかせ あの星座まで」——後悔という重りを背負いながらも、それでも飛ぼうとする。その姿が、とても美しく感じます。
「醒めない恋も買ってみたけど君の興味はゼロ」という、報われない想い

二回目のサビでは、
「醒めない恋も買ってみたけど君の興味はゼロ」
という、切ない一行が加わります。
「明けない夜」に続いて、今度は「醒めない恋」を買う。どちらも、終わらないものを求めています。でも、「君の興味はゼロ」。
この非対称性が、恋の残酷さを表しています。一方的な想いほど、苦しいものはありません。どんなに「醒めない恋」を用意しても、相手が興味を持たなければ、それは成立しないのです。
でもそれでも、語り手は言います。「あるだけの未来をこの夜に使ってしまいたい」と。報われないと分かっていても、この夜を君と過ごせるなら、それでいい。そんな諦めと覚悟が、ここには混在しているのです。
「どんでん返しの未来は到底ないけど」という、リアルな希望

そして曲の最後、
「どんでん返しの未来は到底ないけど 解けない魔法くらいはかけれるかも」
というフレーズが繰り返されます。
「どんでん返しの未来は到底ない」——この諦めは、とてもリアルです。人生に、劇的などんでん返しなんて起きない。奇跡は起きない。そのことを、語り手は分かっています。
でも、「解けない魔法くらいはかけれるかも」と続く。
これは、小さな希望です。世界を変える大きな魔法ではなく、ささやかな、でも確かな魔法。それは何でしょうか?
私は、それが「この夜」そのものなのだと感じます。明けない夜を買い、醒めない恋を買い、あるだけの未来を使い切る。そうやって作り出したこの時間が、「解けない魔法」なのではないでしょうか。
君の記憶の中に、この夜が残る。それは消えない。その意味で、確かに魔法をかけたのです。どんでん返しはなくても、小さな永遠は作れる。その希望が、この最後の歌詞に込められているように思います。
まとめ:嘘と真実の境界で、小さな魔法を信じること

今回は、RADWIMPSの『MOUNTAIN VANILLA』の歌詞に込められた想いを考察してきました。最後に、この記事のポイントをまとめてみましょう。
純粋な欲望への郷愁 「嘘までついて手に入れたいものがあったあの頃」——大人になって失った、むき出しの欲望の強さを懐かしむ。
壮大と日常のギャップ 「世界が終わる」と「髪型」。恋する人同士の温度差を、ユーモアと愛おしさで描く。
時間を止めたい切実な願い 「明けない夜を買ってきた」——終わってほしくない今を、永遠にしたいという願望。
現代的な絶望と連帯 「苦しまない死に方を調べたことがある僕たち」——絶望を抱えながらも生き延びる「同士」への共感。
後悔があるからこそ見える景色 「後悔なんて一つもない そんなやつには見えはしない羽根」——後悔を抱えることの意味。
小さな魔法への希望 「どんでん返しの未来は到底ないけど 解けない魔法くらいはかけれるかも」——奇跡ではなく、ささやかで確かな魔法。
『MOUNTAIN VANILLA』は、甘くも苦くもある、複雑な味わいの曲です。タイトルが示すように、壮大な「山」と、甘い「バニラ」が混在している。嘘と真実、絶望と希望、終わりと永遠——すべてが混ざり合った、リアルな世界がここにはあります。
私たちの人生には、どんでん返しなんて起きないかもしれません。でも、誰かと過ごした夜に、小さな魔法をかけることはできる。その記憶は、解けない。そう信じることが、生きるということなのかもしれません。
あなたは、誰かに「解けない魔法」をかけたことがありますか?あるいは、誰かからかけられたことは?この曲を聴きながら、そんな夜のことを思い出してみてください。


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