Mrs. GREEN APPLEの『GOOD DAY』は、2024年にリリースされた、バンドの持つポジティブなメッセージ性が凝縮された楽曲です。
この曲を初めて聴いたとき、不完全で混沌とした世界の中で、それでも「GOOD」と言い切る強さに、勇気をもらった方も多いのではないでしょうか。
私がこの曲に惹かれるのは、安易な楽観主義ではなく、現実の困難を認めた上で、それでも前を向こうとする姿勢が描かれているからだと感じます。
特に印象的なのが、
「言おう GOOD」
というシンプルで力強いフレーズ。
状況が良いから「GOOD」と言うのではなく、「GOOD」と言うことを選択する──この能動性が、この曲の核心だと思います。
そして、
「私の人生は『ほんと、素晴らしいもの。』言えない日があるのも自然」
という、完璧を求めない成熟した視点。
この記事では、『GOOD DAY』の歌詞に込められた深い意味を、一つひとつ丁寧に読み解いていきます。
Mrs. GREEN APPLEが私たちに見せてくれた、不完全な世界での生き方を、一緒に探っていきましょう。
「期待をしていようがどうにもならない様な浮世」──自分の力では変えられない現実を受け入れる成熟

この曲は、現実の厳しさを認めることから始まります。
私としては、この歌詞が「コントロールできないものを受け入れる」という、成熟した態度を表現しているのではないかと思います。
冒頭で示される認識──期待しても、願っても、どうにもならないことがある。
これは諦めではなく、現実を直視することです。
世界は自分の思い通りにはならない。社会の問題、時代の流れ、他人の行動──コントロールできないものだらけです。
でも、その認識の後に続くのが重要です。
「小さな優しさでどうにかなるかな」──ささやかな行為が持つ、予測不可能な波及効果への希望

大きな問題を前にして、自分にできることの小ささを感じる──でも、それでも。
私としては、この言葉が「小さな善意の積み重ねが、やがて大きな変化を生む」という希望を表現しているのではないかと感じます。
世界を一人で変えることはできない。でも、目の前の誰かに優しくすることはできる。
その小さな優しさが、巡り巡って、どこかの誰かの幸せに繋がるかもしれない。
この「巡り巡って」という言葉が、因果の連鎖、善意のバタフライ効果を示唆しているように思います。
自分の行動が直接的に大きな変化を生まなくても、それが波紋のように広がっていく可能性を信じる。
この希望が、行動する理由になるのではないでしょうか。
【核心】「言おう GOOD」──状況に関わらず肯定を選択する、能動的で勇気ある態度

この曲の核心は、この繰り返される呼びかけにあると私は思います。
私としては、「GOOD」と言うことが、受動的な感想ではなく、能動的な選択である点が重要だと感じます。
「言おう GOOD」──これは命令形、あるいは提案です。
状況が良いから「GOOD」なのではなく、「GOOD」と言うことを選ぶ。
世界は完璧ではない。問題だらけ。でも、それでも「GOOD」と言う。
なぜなら、否定的な言葉を発することは簡単だけれど、それは何も変えないから。
「GOOD」と言うことは、小さな抵抗であり、小さな希望の宣言です。
シニカルになることは簡単。文句を言うことは簡単。
でも、不完全な世界を前にして、それでも「GOOD」と言う──その勇気と強さが、この曲のメッセージなのだと思います。
「身軽になって 一息ついて 言おう GOOD」
この流れも重要ですね。
重荷を下ろす。深呼吸する。そして言う。
「GOOD」と言うためには、まず自分を整える必要がある。余裕が必要。
その準備をした上で、意識的に「GOOD」と言う。
この段階的なプロセスが、単なるポジティブシンキングではなく、意図的な態度の選択であることを示しているように感じます。
「明るい希望を謳うのはダサいこと?」──皮肉と諦めが支配する時代への、真正面からの反抗

この曲には、現代的な空気への挑戦が込められています。
私としては、この問いかけが「シニカルであることがクールとされる風潮」への批判を表現しているのではないかと思います。
現代社会、特にSNS時代において、希望を語ることは「ナイーブ」「現実を知らない」と見なされがちです。
皮肉や冷笑、批判が知的に見え、素直に希望を語ることが「ダサい」とされる風潮。
この曲は、その空気に真正面から立ち向かっているように思います。
「明るい希望を謳うのはダサいこと?」──この反語的な問いには、「いや、ダサくない」という強い主張が込められています。
希望を語ること、ポジティブであること──それは恥ずかしいことでも、幼稚なことでもない。
むしろ、それを選択することの方が、勇気がいる。難しい。
この認識が、この曲の根底にあるように感じます。
「手を繋いで さぁ輪になって」──個人を超えた集合的な力と、孤独を超える繋がりへの希望

この曲には、繋がりへの呼びかけが繰り返されます。
私としては、この言葉が「一人では限界があるが、繋がることで力になる」というメッセージを表現しているのではないかと感じます。
「手を繋いで」「輪になって」──これは物理的な行為であり、同時に比喩でもあります。
孤立せず、繋がること。協力すること。
「一人じゃなんも出来ない 我らカワイイもんね?」という自嘲的な表現も興味深いですね。
一人一人は弱い。無力。「カワイイ」──つまり、小さくて、力がない。
でもその認識が、だからこそ繋がろう、という呼びかけに繋がっています。
弱さを認めることが、繋がる理由になる。
この逆説が、とても人間的で、現代的だと思います。
「私の人生は『ほんと、素晴らしいもの。』言えない日があるのも自然」──完璧を求めない、揺らぎを受け入れる成熟した知恵

この曲の最も深い洞察が、この部分にあると私は思います。
私としては、この言葉が「感情の揺らぎを受け入れること」と「それでも基本的には肯定すること」のバランスを示しているのではないかと感じます。
人生を「素晴らしいもの」と言えない日がある。
それは当然のこと。「自然」なこと。
毎日ポジティブでいることは不可能だし、無理に「良い」と言い聞かせることは健全ではありません。
でも、基本的な態度として、「私の人生は素晴らしいもの」と思っている。
言えない日があっても、それは一時的なもの。根底には肯定がある。
この成熟した視点が、この曲を単なるポジティブソングから、深い人生の知恵を歌った曲へと昇華させているように思います。
「また今日も繰り返して 凹んで 心は忙しいけど」
という現実認識も重要です。
毎日は繰り返し。凹むこともある。心は忙しく、揺れ動く。
その現実を認めた上で、それでも「GOOD」と言う。
この誠実さが、この曲の説得力を生んでいるのではないでしょうか。
まとめ
今回はMrs. GREEN APPLEの『GOOD DAY』の歌詞について、その深い意味を考察してきました。
最後に、この記事のポイントを簡潔にまとめてみましょう。
現実の受容
「どうにもならない様な浮世」という認識に、コントロールできないものを受け入れる成熟が表れているように思います。
小さな行為の力
「小さな優しさでどうにかなるかな」という言葉に、ささやかな善意が持つ可能性への信頼が込められているのではないでしょうか。
能動的な肯定
「言おう GOOD」という呼びかけに、状況に関わらず肯定を選択する勇気が示されていると感じます。
シニカルな時代への反抗
「明るい希望を謳うのはダサいこと?」という問いに、冷笑的な風潮への挑戦が込められているように思います。
繋がりの力
「手を繋いで さぁ輪になって」という呼びかけに、孤立を超えた集合的な力への希望が表れているのではないでしょうか。
揺らぎの受容
「言えない日があるのも自然」という認識に、完璧を求めない成熟した知恵が示されていると感じます。
Mrs. GREEN APPLEが紡いだこの曲は、不完全で混沌とした世界で、それでも「GOOD」と言う勇気と、その勇気を支える成熟した視点を歌った、現代に必要なメッセージソングだと私は感じます。
この記事を読んで、改めて『GOOD DAY』を聴き直したくなった方もいるかもしれませんね。
今日はどんな日でしたか?
完璧ではなかったかもしれない。辛いことがあったかもしれない。
でも、一息ついて、言ってみませんか。
「GOOD」
その小さな言葉が、明日への一歩になるかもしれません。


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