あいみょんの『君はロックを聴かない』は、2017年にリリースされ、彼女の名を一躍有名にした代表曲です。
この曲を初めて聴いたとき、自分の好きな音楽を相手も好きになって欲しいという、音楽好きなら誰もが共感できる気持ちに、胸を打たれた方も多いのではないでしょうか。
私がこの曲に惹かれるのは、「趣味が合わない」という現実を受け入れながらも、それでも自分の大切なものを共有したいという、不器用で純粋な想いが描かれているからだと感じます。
特に印象的なのが、
「君はロックなんか聴かないと思いながら 少しでも僕に近づいてほしくて」
というフレーズ。
無理だと分かっている。でも、それでも。この矛盾した感情が、恋の本質を表しているように思います。
そして、
「僕はこんな歌であんな歌で恋を乗り越えてきた」
という告白。
この記事では、『君はロックを聴かない』の歌詞に込められた深い意味を、一つひとつ丁寧に読み解いていきます。
あいみょんが私たちに見せてくれた、音楽を通じた恋の形を、一緒に探っていきましょう。
- 「少し寂しそうな君にこんな歌を聴かせよう」──相手を慰めたいという純粋な優しさと、近づきたいという隠れた下心の共存
- 「埃まみれ ドーナツ盤にはあの日の夢が踊る」──古いレコードに刻まれた、過去への郷愁と色褪せない青春の記憶
- 【核心】「君はロックなんか聴かないと思いながら 少しでも僕に近づいてほしくて」──分かっている趣味の違いと、それでも縮めたい心の距離の狭間
- 「僕はこんな歌であんな歌で恋を乗り越えてきた」──音楽が支えてくれた、過去の恋の痛みと失恋の記憶
- 「僕の心臓のBPMは190になったぞ」──緊張と興奮が最高潮に達した、恋する心の激しい高鳴り
- 「恋人のように寄り添ってほしくて」──友達でも恋人でもない、曖昧な関係性から一歩踏み出したい願い
- まとめ
「少し寂しそうな君にこんな歌を聴かせよう」──相手を慰めたいという純粋な優しさと、近づきたいという隠れた下心の共存

この曲は、相手を思いやる優しさから始まります。
私としては、この歌詞が「相手を元気づけたい」という善意と、「それをきっかけに距離を縮めたい」という恋心が、自然に混ざり合っている状態を表現しているのではないかと思います。
「少し寂しそうな君にこんな歌を聴かせよう」という冒頭が、とても優しいですね。
「少し寂しそうな」──相手の表情、雰囲気を見て、その感情を察している。
この観察力と共感力が、相手への関心の深さを示しています。
「こんな歌を聴かせよう」──音楽で慰めたい、元気づけたい。
音楽好きの人にとって、音楽は自分を支えてくれるもの。だから、大切な人が悲しんでいたら、音楽で癒してあげたいと思う。
この純粋な優しさが、この行動の出発点なのでしょう。
「手を叩く合図 雑なサプライズ 僕なりの精一杯」
という続きも、不器用さが愛らしいですね。
「手を叩く合図」──シンプルで、子どもっぽいかもしれない。
「雑なサプライズ」──洗練されていない。でも、それが自分のやり方。
「僕なりの精一杯」──完璧ではないけれど、これが自分にできる最大限のこと。
この不完全さ、不器用さが、かえって誠実さを感じさせるのではないでしょうか。
「埃まみれ ドーナツ盤にはあの日の夢が踊る」──古いレコードに刻まれた、過去への郷愁と色褪せない青春の記憶

この曲には、古いレコードへの愛情が描かれています。
私としては、この歌詞が「古いレコードが持つ物理性と、それに紐づく記憶や感情」を表現しているのではないかと感じます。
「埃まみれ ドーナツ盤にはあの日の夢が踊る」というフレーズが、とても詩的ですね。
「ドーナツ盤」──7インチのシングルレコード。真ん中に大きな穴が開いている、昔のレコード。
「埃まみれ」──長い間、聴かれていなかったのかもしれない。あるいは、大切に保管されていた証拠。
「あの日の夢が踊る」──このレコードを聴いていた頃の夢、希望、青春の記憶。
レコードには、デジタル音源にはない物理性があります。盤面の傷、埃、針を落とす時の緊張感。
そして、そのレコードを聴いていた頃の記憶が、音楽と一緒に蘇ってくる。
「真面目に針を落とす 息を止めすぎたぜ」
という言葉も、レコード好きなら共感できる描写ですね。
針を落とす瞬間──緊張する。大切なレコードを傷つけないように、慎重に。
「息を止めすぎた」──集中しすぎて、呼吸を忘れてしまうほど。
この細やかな描写が、主人公の音楽への真剣さを伝えているのではないでしょうか。
【核心】「君はロックなんか聴かないと思いながら 少しでも僕に近づいてほしくて」──分かっている趣味の違いと、それでも縮めたい心の距離の狭間

この曲の核心は、この諦めと願望が共存するフレーズにあると私は思います。
私としては、この言葉が「相手と自分の違いを理解しながらも、それでも共通点を作りたい」という、恋する人の切実な願いを表現しているのではないかと感じます。
「君はロックなんか聴かないと思いながら 少しでも僕に近づいてほしくて」というフレーズが、何度も繰り返されます。
この繰り返しが、この感情の強さを示しているのでしょう。
「君はロックなんか聴かないと思いながら」──これは現実の認識です。
相手は自分とは違う音楽の趣味を持っている。ロックには興味がない。それは分かっている。
「なんか」という言葉も興味深いと思います。「ロックは聴かない」ではなく「ロックなんか聴かない」。
この「なんか」には、ちょっとした諦めと、相手の視点を想像した表現が含まれているように感じます。
でも「少しでも僕に近づいてほしくて」──これは願望です。
諦めていない。希望を持っている。
「少しでも」──全部分かってもらおうとは思わない。でも、少しだけ。ほんの少しだけ、自分の世界に来て欲しい。
自分の好きなものを共有できたら、心の距離が縮まる。共通の話題ができる。
音楽を通じて、もっと親しくなれるかもしれない。
この願いが、無理だと分かっていても、音楽を聴かせる理由なのでしょう。
「僕はこんな歌であんな歌で恋を乗り越えてきた」──音楽が支えてくれた、過去の恋の痛みと失恋の記憶

この曲には、音楽と恋愛の関係が描かれています。
私としては、この歌詞が「音楽が人生の伴侶であり、特に恋愛の痛みを癒してくれる存在である」ことを表現しているのではないかと思います。
「僕はこんな歌であんな歌で恋を乗り越えてきた」という告白が、とても正直ですね。
「こんな歌であんな歌で」──具体的な曲名は出さないけれど、色々な歌。
明るい歌、悲しい歌、怒りの歌、希望の歌。
「恋を乗り越えてきた」──過去に恋をして、失恋して、傷ついて、それを音楽の力で乗り越えてきた。
音楽好きの人にとって、音楽は単なる娯楽ではなく、人生の一部です。
辛い時、音楽が支えてくれる。失恋した時、音楽が慰めてくれる。
この経験を持つ人だからこそ、大切な人にも音楽を共有したいと思う。
「僕はこんな歌であんな歌で恋に焦がれてきたんだ」
というバリエーションも印象的です。
「恋に焦がれてきた」──恋を求めて、恋を夢見て。
音楽の中には、恋の歌が多い。その歌を聴きながら、自分もそういう恋をしたいと夢見てきた。
そして今、実際に恋をしている。音楽を共有したい相手がいる。
その喜びと不安が、この歌詞に込められているのではないでしょうか。
「僕はこんな歌であんな歌でまた胸が痛いんだ」
という最後のバリエーションも切ないですね。
「また胸が痛い」──今回も、傷つくかもしれない。失恋するかもしれない。
でも、それでも恋をする。そしてまた、音楽に支えられるのだろう。
このサイクルを知りながら、それでも恋をする──その覚悟が感じられます。
「僕の心臓のBPMは190になったぞ」──緊張と興奮が最高潮に達した、恋する心の激しい高鳴り

この曲には、身体的な反応が具体的に描かれています。
私としては、この表現が「恋の感情を数値化することで、その激しさをより明確に伝える」試みではないかと感じます。
「僕の心臓のBPMは190になったぞ」というフレーズが、ユニークですね。
BPM(Beats Per Minute)──1分間の心拍数。通常、安静時は60〜100程度。
190というのは、激しい運動をしている時のような、異常に高い心拍数です。
これは比喩であり誇張ですが、それほどまでに緊張している、ドキドキしているということを表しているのでしょう。
そして面白いのは、BPMは音楽用語でもあるということです。
曲のテンポを表す単位でもあるBPM。
自分の心臓の鼓動が、まるで激しいロックの曲のようなテンポになっている──この二重の意味が、この表現に込められているように思います。
「君は気づくのかい? なぜ今笑うんだい? 嘘みたいに泳ぐ目」
という続きも、緊張している様子がよく表れていますね。
「君は気づくのかい?」──自分の緊張、ドキドキに気づいているだろうか。
「なぜ今笑うんだい?」──君が笑っている。それは、自分の様子が面白いから?それとも、優しい笑顔?
「嘘みたいに泳ぐ目」──緊張しすぎて、視線が定まらない。目が泳いでいる。
この細かい描写が、恋する人の不安定な心理状態をリアルに伝えているのではないでしょうか。
「恋人のように寄り添ってほしくて」──友達でも恋人でもない、曖昧な関係性から一歩踏み出したい願い

この曲には、関係性への願望が込められています。
私としては、この言葉が「今は友達(あるいは知人)だけれど、恋人のような親密さが欲しい」という、段階を飛び越えたい願望を表現しているのではないかと思います。
「君がロックなんか聴かないこと知ってるけど 恋人のように寄り添ってほしくて」というフレーズが、とても切実ですね。
「恋人のように」──まだ恋人ではない。でも、恋人のような関係になりたい。
「寄り添って」──物理的に近くにいるだけでなく、心理的にも、精神的にも近い存在になりたい。
音楽を共有すること、同じ音楽を聴くことは、心を通わせる行為です。
一緒に音楽を聴きながら、肩を寄せ合う。そんな親密な時間を過ごしたい。
この願いが、「恋人のように寄り添ってほしくて」という言葉に込められているのではないでしょうか。
でも現実には、「君はロックなんか聴かない」。
趣味が合わない。だから、その願いは叶わないかもしれない。
でも、それでも願わずにはいられない。
この矛盾が、この曲全体を貫くテーマなのだと思います。
まとめ
今回はあいみょんの『君はロックを聴かない』の歌詞について、その深い意味を考察してきました。
最後に、この記事のポイントを簡潔にまとめてみましょう。
優しさと下心の共存
「少し寂しそうな君にこんな歌を聴かせよう」という言葉に、相手を慰めたい純粋な優しさと、近づきたいという恋心が混ざり合っているように思います。
物理メディアへの愛
「埃まみれ ドーナツ盤にはあの日の夢が踊る」という表現に、古いレコードと結びついた記憶への郷愁が描かれているのではないでしょうか。
分かっている違い
「君はロックなんか聴かないと思いながら 少しでも僕に近づいてほしくて」という言葉に、現実を受け入れながらも願いを持ち続ける矛盾が込められていると感じます。
音楽が支えた過去
「僕はこんな歌であんな歌で恋を乗り越えてきた」という告白に、音楽が人生の伴侶であることが示されているように思います。
身体的な反応
「僕の心臓のBPMは190になったぞ」という表現に、恋の緊張と興奮を数値化する面白さがあるのではないでしょうか。
関係性への願望
「恋人のように寄り添ってほしくて」という言葉に、今の関係から一歩進みたいという切実な願いが表れていると感じます。
あいみょんが紡いだこの曲は、趣味が合わない相手に恋をした時の、不器用で一途な気持ちを、音楽への愛と重ねて描いた名曲だと私は感じます。
この記事を読んで、改めて『君はロックを聴かない』を聴き直したくなった方もいるかもしれませんね。
あなたにも、自分の好きなものを誰かと共有したいと思ったことがありますか?
そして、その人は、あなたの好きなものを好きになってくれましたか?
もしそうでなくても、この曲は教えてくれます。
違いがあっても、想いは伝えられる。音楽が、心の距離を縮めてくれるかもしれない。
そんな希望を、この曲は歌っているのだと思います。


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